東京都知事

 僕が石原慎太郎という人を心底嫌いなのは、彼が同性愛者を差別するような発言を繰り返しているから、というだけの問題ではありません。一言で言えば「想像力の欠如」とでも言いましょうか。自分の価値観に根拠のない絶対的な自信を持っていて、それを唯一の善とでも考えているように思えます。
 特に、自分の価値観の中での「弱者」に対して、その弱き立場にあることはその人に責任があり、悪いのだとし、異様な憎悪をむき出しにするような雰囲気を感じます。

戸塚ヨットスクールを支援する会

http://totsuka-yacht.com/nyukai.htm
 このあたりからも、彼がどういうスタンスなのか、よくわかると思います。僕は、石原氏の様々な分野のマイノリティー、国際社会や、他文化というものへの無関心、無配慮、あるいは敵対、憎悪、侮蔑といった姿勢に強い疑問を持ち続けています。彼が長きに渡って、日本の首都たる東京の知事として君臨していることは、日本の恥だと思っています。
 僕は都知事選の選挙権を持たないのですが、せめて次の選挙では、石原慎太郎以外の人間が知事になることを強く望みます。
 最後に、2丁目潰しに関してのニュースを引用しておきます。全てのゲイがここを拠り所にしているわけではありませんが、それでも、少なくない人間にとって、何物にも代え難い大切な場所であることは確かです。異性愛者が通う歓楽街が一つ潰されるのとは、全く意味が異なるのですが、想像力の無い石原氏には、全く理解されないのでしょう。

ゲイタウン「新宿2丁目」石原発言に反発 (日刊スポーツ)

http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20070318-171272.html

 3選を目指す石原慎太郎知事(74)に日本最大のゲイタウン「新宿2丁目」から反発の声があがっている。石原氏が昨年、五輪招致に絡み、新宿2丁目の景観を条例で規制すると発言したのが発端。歌舞伎町が石原都政下で“浄化”された過去があるだけに、今度は「2丁目つぶし」が始まる可能性もある。ゲイバーなどは「死活問題になりかねない」と規制への危機感を訴えている。

 同じ新宿区の歌舞伎町では最近、多くの風俗店などが摘発され様子が一変。「石原浄化作戦」とも呼ばれた。五輪招致に絡め「次は2丁目」となる可能性もある。

 東京都のゲイに関する情報の調査・発信をしているネットワーク「東京メトロポリタン ゲイフォーラム」の共同代表・赤杉康伸氏(31)は「われわれも、法律や都市計画の専門家らときちんと話し合ったり、地域とも共同して、2丁目をどう守っていくかを真剣に考え、対抗していかないと、やられるがままになる可能性すらある」と訴える。

 赤杉氏はまた、過去のゲイ差別発言などから石原氏は「筋金入りの同性愛嫌いでは」とした上で「『都民すべてに人権がある』ということを押さえるのは、公職に就く人にとって基本中の基本。2丁目は平和な街。あえてつぶす必要がない場所を、なぜほかの繁華街と差別化してつぶそうとするのか、非常に疑問。2丁目規制は、地域の特色や人々の意向を尊重する景観法の理念とは異なる」と続けた。

 追記石原慎太郎都知事選に落選して欲しい。
http://d.hatena.ne.jp/terracao/20070320/1174397382

同性愛者の権利

 ごぶさたしています。
 先日、あるゲイの友人と話していたのですが、その彼も、社会に向けて強く権利を叫びたいとか、そういう思いは無いらしいのです。僕らはどうあがいたところで、やはり少数派であることは確かで、多数派になることはありえません。僕らが多数派になるということは、少子化という話を飛び越えて、人類の存亡に関わる事態であり、そうした意味で、やはり自然ではない何かがあることは事実なのです。
 僕はたまたまゲイであるということに気付き、ほぼ男性しか愛せないからそうして生きているし、別にそれに対して必要以上の悲観はしていないけれど、異性愛者として生き、結婚し、子を産み育てるという生活への憧れは持っているし、それはやはり自然な生き方だとも思うのです。
 しかし、一定の割合でゲイが存在するというのも厳然たる事実、自然のことなのであって、それを多数派か否かという意味、生殖という意味だけでの「不自然さ」故に否定されるいわれは無いと思っているのです。そうして僕は、多数派でないが故のある程度の不自由さは受け入れた上で、静かに生きていきたいと思うのです。
 先ほどの友人は、かつてゲイがもっと社会から隠されていた時代のほうが良い面も多かったと言います。社会に存在を認められないが故に、群れ集まる場所があり、時間があったことで、不思議な一体感や安らぎを感じていた人は少なくなかったはずだ、と。別に間違ったことをしているとは思わないのですが、「ならば隠さずに堂々としなさい」ということが必ずしも正しいということでもないと思うのです。
 現在、インターネットなどの力で、多数派の人間が、今までは意識しなかったような世界の存在を知るようになったし、同時に当事者が、自分と同じような人間が存在するのだということを容易に知ることができるようになったので、そういう意味では群れ集まる場所までの距離は近くなったのかも知れません。しかし、そこまでのアクセスが見た目として近くなったことで、ある程度隠れることを求めていたタイプの人間にとっては、もはやそこが群れ集まれる場所ではなくなってしまうのかも知れません。
 社会から隠れることを良しと考えるタイプの中でも、極端な方々は、そもそも世のゲイたちが権利をアピールするような運動を嫌がります。逆に、ゲイの権利をアピールすることを至上とするタイプの中で極端な方々は、身を潜めて、ひっそりと生きようとするゲイを嫌います。
 僕自身は、冒頭に書いたように、権利を声高に主張するということもありませんが、必要以上に身を潜めることもなく、僕なりに自然に生きているのです。
 職場や家族にはカミングアウトをしておらず、これからもするつもりはありません。そういう対象は、ゲイという存在が当たり前のものになっていないからこそ、僕をゲイだと思うに至らないのだと思います。その一方、異性愛者も含め、親しい友人の一部には自分の性的指向をうち明けた上で、それ以降も良好な関係を維持しています。
 また、ゲイパレードなどの、「権利を叫ぶ」方にベクトルが向いたような行事に参加することもあります。尤も、少なくとも日本のパレードは、アピールするというよりは、単に性的少数派同士が「群れ集まる」という部分の方が大きいのかも知れません。語弊や誤解があるとは思いますが、こうした現状がなんとも「日本的」だなあと思うし、日本のゲイにとって、決して悪くはない環境なのかも知れないな、と思うのです。
 田舎のあたたかさというのは、実のところムラ社会としての、その地域のある程度固まった思想や価値観に同化できる人にとってのあたたかさであって、その価値観からはみ出してしまった人間は、多用な価値観が渦巻く都会に身をおいてしまうか、あるいは、別のムラを探さなくてはならないのでしょう。性的少数派にとっての都会というのは、割合として少ない、同じ性的指向の持ち主に出会う確率を高める場所であり、どうやっても異性愛者としての「正しい」思想に同化できず、「正しい」ムラで「正しく」生きられない人間が、その土地に同化せずとも生きられる場所です。そして、その中でもやはりムラ社会を求めてしまう同性愛者にとって、都会の中に隠されて存在する同性愛者のコミュニティーというのが心地よいのではないでしょうか。
 先ほど述べたように、「同性愛者の権利推進派」は、そうして社会から隠れて群れることだけを良しとする人を嫌い、そのムラに居続けたい人は、あまり強い権利や存在の主張を嫌うのかも知れませんが、多くは、そのどちらかに偏るということではなく、適当なバランスをとって生きているのではないでしょうか。ムラの閉塞感を嫌いながら、別のムラを探すというあたりは、ゲイに限らず、少なくない日本人の行動なのかも知れません。

国連人権理事会”性的指向、性自認に基づく人権侵害非難声明”に日本は不賛同

 ずいぶん放置してしまいましたが、ちょっとニュースを拾っておきます。
http://www.gayjapannews.com/news2006/news377.htm

スイス・ジュネーブで開催されている国連人権理事会において、12月1日、ノルウェーが、LGBTの人権に関する声明を発表した。

声明の内容は、世界各地でのLGBTへの深刻な人権侵害の事例に対し深い懸念を表し、今後、国連人権理事会等の国際機関がこの問題をきちんと取り上げるべきだというもの。
この声明には、人権理事会の理事国18カ国を含む54カ国が賛同したが、アジアで賛同に加わったのは韓国、東ティモールのみで、日本は加わっていない。
LGBTレズビアン、ゲイ、バイセクシャルトランスジェンダー等の性的少数者

 ある個人が、LGBTというものを受け入れがたいものであるとか、好きになれないという感情を抱くのはまあ、仕方がないことだと思っています。ただ、ある個人が受け入れがたいもの、多数派ではないものが、社会に認められないもの、差別されるものであってよいと言うことではありません。あくまで個人の姿勢ではなく、国としての意思表明として、日本はこれに賛同してもらいたいと強く願います。

※賛同国の一覧(54カ国):アルバニアアンドラ、アルゼンチン、オーストラリア、オーストリア、ベルギー、ボスニアヘルツェゴビナ、ブラジル、ブルガリア、カナダ、チリ、クロアチアキプロスチェコ共和国デンマークエストニアフィンランド、フランス、ドイツ、ギリシャグアテマラハンガリーアイスランドアイルランド、イタリア、ラトビアリヒテンシュタインリトアニアルクセンブルク、マルタ、メキシコ、モンテネグロ、オランダ、ニュージーランドパナマ、ペルー、ポーランドポルトガルマケドニア旧ユーゴスラビア共和国大韓民国モルドバ共和国ルーマニアセルビア、スペイン、スロバキアスロベニアスウェーデン、スイス、東ティモールウクライナ、イギリス、アメリカ合衆国ウルグアイノルウェー

パレードとか

 しかしまあ、相変わらず「研究室」という名前の部屋でコーヒー呑んだり、ネットしたり、アイス食べたりしているという腐れ大学院生活である。まあ、一応、外来とか検査とか外勤はかなりの数こなしているので、一応労働しているという自負はあるのだけれど、いかんせん本業(今は、研究)がおろそかなので身の置き場がない。身の置き場がないから、早々に研究室を後にしてビール呑むっていうのもどうしようもないな。

 8/12(土)にTLGP2006(東京レズビアンゲイパレード)に参加するために、巧妙にルーチンの週末バイトをずらし(さらにそのバイトの日に別のお誘いを受けたので、力業でもう一週ずらし)ておいた。ボランティアスタッフの集合時刻7:00に間に合わせるには、当日発だと厳しいので、前日入りも考えたのだけれど、金曜日に院生中心のビアガーデン呑みがあったので断念。断ってもよかったのだけれど、まあ、今いる環境も大切だしね。教室全体の呑み会のような堅苦しさはないので、それはそれで楽しいし。

 パレード参加は去年に引き続き2度目。パレードが中断されていた時期に、単独で行われていたレインボー祭りに初めて参加したのは確か3年前。ゲイの世界に接点を持ったのは、たかだかそんなものなのだけれど、割合濃密な時間を過ごしてきたような気もする。ちなみに、普段こことは別にやっていたサイトの顔、リアル生活の顔、ゲイとしての顔という3つを、それぞれ全てにオープンにはしないでいるのに、それぞれの要素を併せ持ったままミクシィのアカウントを維持していたのに疲れ、とりあえず、ミクシィ内でのカムアウトを行ったのは、去年のパレードの後だった。いろいろ難しく考えすぎなのかも知れないけれど。幸い、今までカムアウトに失敗したことは一度も無いし。その後、この「デルトイデウス」を立ち上げることにもなったのだった。

 去年は一般参加。幸いにもそれまでに仲良くなったゲイの友人たちと参加できた。ただ、職場の異動や趣味の音楽などを通して、ノンケ社会では、普通に仕事しながら交友関係を広げていくことができていたのに対して、ゲイの知り合いに関しては頭打ち。ただ単に「出会う」ことだけを目的としたような中で、関係を維持するのも僕には向いていない。今回、救護スタッフとしてパレードに関わらせてもらうことで、自然な形で初めての人々に出会えたと思う。また、今回は救護という性質上、その多くが医療職で同性愛者という、自分とよくにた状況であるということが、無理しないで交流することを助けたとも思う。しばらく、既に知り合ったゲイの友人の友人、といった広がり方しか経験していなかったので、久々に新しいところに飛び込んでいったのも新鮮だった。僕は勝手に自分の知っているごく狭い範囲だけをゲイの世界と捉えて、その閉塞感を嘆いていたようなところがあると思う。恋人がいないのも、世界の狭さのせいにしていた、と思う。

 結果として、救護テントでは、たいして働きもせず、みなさんに迷惑をかけたことと思いますが、今年一日経験してみて、おおむね流れは分かったので、是非来年も参加させて頂き、今年よりは役立つようになりたいと思っています。

 山手線も止めた豪雨で誰もが中止と思ったパレード。豪雨の中果敢に踊る女性に盛り上がる救護テント。催行を決める時刻の少し前に嘘のようにあがった雨。その一つ一つが、非常に印象的だった。

 去年はサングラスをかけて「撮影禁止」フロートを歩いていた僕が、今年は、隊列スタッフとして、TBSのカメラが追っかけて来る中、弟(カムアウトはしていない)の職場の近くなんかも通りながら、パレードを誘導して渋谷を歩いている。挙げ句の果てに、公園帰着後、別のスタッフの言われるがままに動いていたら、横断幕を持ってステージ上にあがり、そのままファイナルイベントへ。当然写真も相当数撮られているのだけれど、まあ、なるようになるだろう。これからの生き方とか、漠然といろんなことを考えているのだけれど、僕はとにかく、自分で縛っているいろんなものから、もう少し自由になろうと思っている。

 救護スタッフには酒呑みも多く、日頃どちらかというと、その呑みっぷりを批判されがちな僕としては、非常に嬉しく、そして楽しかった。打ち上げも、ホント、心の底から楽しかった。会話はこれ以上もないくらい品が無かったような気もするけれど。隣のノンケ男子が引きつった顔をしてこちらをみていたし。その流れで、二丁目のファイナルパーティーにもちょっと出て、西新宿泊。

 翌日は、あるマイミクとはじめて会う。もともと、僕が彼のブログを、自分のはてなアンテナに入れてちょくちょく読んでいたのだけれど、その解析をたどり、彼からミクシィでメッセージをもらったのをきっかけに、マイミクになったという不思議な繋がり。彼のブログを読み始めたのは、別のマイミクがどこかで紹介していたのがきっかけだったと思う。

 なんとなく自覚してるんだけれど、僕のテキストって、少なくない人が壁を感じるのではないかと思ってる。その昔某師は「マジメな苦学生のようなイメージだった」と言った。メールにしても、必要な用件以外のことをやりとりする習慣がなくて、絵文字も使えないしで、非常に素っ気なくなる。ある程度仲の良い友人にも、よく「メールが冷たい」と言われるし、この日あったマイミクには「あんまり他人に興味無さそうですよね」と非常に的確な言葉を頂いた。

 なんというか、僕、屁理屈並べるのに言葉を使うのはそんなに苦手じゃないんだけれど、感情表現が極端に苦手。伝えたい感情については、言葉を介さずに、ダイレクトに伝える方法が欲しい。まだ直接会って話す分には、単なる「言葉」ということ以外に、そこに漂う雰囲気とか、匂いとか、体温とか、身振りとか、表情とか、いろいろその感情を伝える方法があるのに、メールだと難しい。手書きという情報まで奪った、単なる電子情報。そういう意味では、メールよりは電話のほうがいいかな。いずれにしても、それで用件以外のことを伝えるのは苦手。

 あと、結局自分が傷つくのが怖いのと、だいぶ長い間、セクシャリティなどの問題も含めて、いろんなことを偽り続けていたということが、言葉の端々、行動の端々に「壁」としてあらわれているんだとは思う。

 他人に興味が無ければ、そもそもセクシャリティーについて悩んだりもしないし、「交流」に主眼をおいたミクシィだってやってはいない。そのくせ「みんな愛してるぜ」っていう部分が、きっと僕からは全く漂わないんだよなあ。

 で、こうやってまた、小難しく考えすぎて、結局長文を書いてるのな。普段から面倒くさいことばっかり言っているわけじゃないと思うんだけど。そうでもないか。

 とにかくみなさん、今後ともよろしくお願いします。

東京レズビアン&ゲイパレード2006

http://www.tlgp.org/
 以前「東京レズビアンゲイパレード2006」について少し触れました。
http://d.hatena.ne.jp/deltoideus/20060419#p2
今年は8/12に開催決定。渋谷の街を歩く大きなパレードです。今年も参加の都合がつきそうなので、せっかくなのでボランティアスタッフとして参加させて頂くことにしました。
 もし、ここを読んで下さっていて、パレードに参加する、あるいは詳しく話をききたいという方がいらっしゃるようでしたら、お気軽にメッセージやメールをお寄せ下さい。ちなみに、delという名前は、このサイトとメルマガだけで使っているものなので、会場では別の名前を名乗っていると思います。

中学生日記

 中学生日記がいろんな意味で凄いのは今に始まったことではありませんが、先日前編が放送された「誰にも言えない」がまた凄いです。
http://www.nhk.or.jp/nikki/weekly/index.html

男子も性暴力を受けることがある。
この事実をあなたは知っていますか?
東桜中3年の秋山拓人(あきやま・たくと)は、野球部のエース。しかし、先輩の臨時コーチに恥ずかしい体験をさせられた…。誰にも相談できず、しだいに部活にも、学校にも出てこなくなる。拓人の彼女、チームメイト、先生はいったいどうしたらいいのか?彼は立ち直ることができるのか?
前編は男子への性暴力の現実を描きます。
キーワードは「信じる」。

男子も性暴力を受けることがある。
この事実をあなたは知っていますか?
拓人は学校に来なくなった。黒川先生は倒れ、保健室のベッドで目が覚めた。そこでは養護教諭野並と、千晶、龍貴が見守っていた。野並は、男性の性暴力について、性暴力を受けた男性が開いているホームページを使いながら説明する。黒川は、自分の中学時代に起こった出来事を次第に思い出していく…。そして、拓人を救おうと動き出す。さらに千晶は…。
後編では性暴力の被害を受けた男子中学生が、周囲の人々に励まされ、生きる手がかりと勇気を得るまでを描きます。

 ちなみに、これはあくまで「性的虐待」が問題なのであって、同性愛の否定ではありません。NHKのサイトにも以下のように書かれています。

(6) 同性愛を否定することにならないのか?
今回の番組は、同性愛を描いたものではありません。本人の同意がない、あるいは同意できる環境にない中で行われる性的な行為は性暴力です。判断する能力のない子どもへの行為は、性暴力です。(被害者が女性の場合を考えてください。たとえ愛し合っていても、大人から子どもへの行為は許されません。)

 ホモフォビア(同性愛嫌悪)の多くは、こういった性的虐待であるとか、乱交に近いような性行為などを、同性愛者一般のイメージのようにとらえている気がします。同性への性暴力の背景には、当然同性愛という性的指向はあるのでしょうけれど、それを性暴力の形で表現することは、当然罪悪ですし、これは異性愛の関係でも同様です。
 前編はすでに7/3に放送されましたが、再放送が7/8 10:45〜、後編が7/10 19:00〜、再放送7/15 10:45〜とのことです。NHK教育テレビ

日本の仏教と同性愛

 仏教における同性愛を考えてみます。仏教においては、一神教にあるような、同性愛者差別の歴史はあまり知られていません。教典で同性愛を禁じているものもあるようですが、あまり声高に叫ばれているものでもないようです。仏教の立場からの同性愛を否定するような言葉としては、チベット仏教ダライ・ラマが1997年にサンフランシスコで「同性愛者は人間としての尊厳と権利をもつとしながらも、同性愛行為そのものは仏教の戒律に反する」という説法を行ったことがありました。しかし、全体として、キリスト教イスラム教社会に比べると、仏教社会では、異質なものを比較的に寛容に扱うような面があるように感じています。

 また、世界の仏教国が似たような文化を持つ部分はあったとは思いますが、その国によってかなり扱いが異なり、独自の発展を遂げている部分が大きいように思います。ですから、一口に「仏教における同性愛の扱い」ということを言うのは難しいので、あくまで、日本における同性愛の歴史を、仏教文化と絡めて綴ってみます。

 ちなみに、「同性愛(homosexuality)」という言葉がはじめて成立したのは1867年のことです。これは、ハンガリーの医師カローイ・マリア・ケルトベニーによって、病名として用いられたものです。はじめて同性愛というものを定義的に扱った言葉が「病名」としてのものであったため、その言葉とともに差別的な要素がしつこつ付きまとう一因となっているわけです。

 いずれにせよ、言葉が存在する以前に、概念としての同性愛というものは、はっきりとしていなかったのであろうと推察されます。しかし、概念としてはっきりする以前にも、日本にも同性愛が存在したことが知られています。

 日本における、最古の同性愛の記述は「日本書紀」であると言われているようです。そこで男色は「阿豆那比ノ罪」という言葉で語られています。日本書紀第九巻の中に、次のような内容が記されています。「神に仕える身である小竹祝と天野祝は互いに深く想いあっていた。小竹祝が死んだ時に悲しんだ天野祝は後を追った。そのため付近の土地は光を受けず夜のように暗くなってしまった。彼らが阿豆那比ノ罪を作った」

 後述しますが、日本においては、同性愛が罪として捉えられるのは、近世以降、西洋文化流入に伴ってのことと言われています。ここでは、同性愛ということ自体が罪なのか、「神に仕える身でありながら」というところがポイントなのか、はっきりしませんが、いずれにせよ、ここに「罪」という言葉を使っているのは興味深いところだと思います。その一方で、この関係を、「善友(うるわしきとも)」と書いています。日本において、愛と友情の境界があまり明確でなかっということを伺わせるものでもあります。

 日本書紀においては、実際の生活の中に同性愛が存在していたのか、許容されていたのかということははっきりしません。日本において、同性愛が社会に定着したのは、平安時代の仏教界という有力な説があります。これは、留学先である中国からの性風俗を輸入したものと考えられています。同性愛の対象となる稚児は仏の化身とされ、同性愛は仏性と交わる宗教的な意味を持っていたといいます。これは、ギリシャ・ローマ時代時代、ローマの神々を祭る神殿での、「神殿娼婦・神殿男娼」を介した神と交わる儀式に通ずるものを感じ、興味深いところです。自由恋愛や、性欲の発散ということとは、また違った意味を持っていたもののようです。

 この時代の書物にも、同性愛に関する記述は数多くみられます。「続日本記」には、天武天皇の第七王子である新田部親王の子で皇太子の道祖王が侍児と男色行為をし廃太子になったという記述があります。「伊勢物語」にも「うるはしき友」に恋をする内容が描かれます。有名なところでは、「源氏物語」に同性愛が登場しています。

 一方、極楽へ行くための方法を記し、平安時代に流行した「往生要集」の中では、同性愛が罪であるとはっきり書かれています。「おとこが男に愛著して邪行を犯したるものここ(地獄)におちて」というように、同性愛は地獄へ行く罪とされました。日本において、仏教の経典の中に同性愛を禁じる記述があるのは、この影響も大きいとされています。しかし、社会は「同性愛禁止」をあまり問題視せず、むしろ貴族・僧侶の世界ではさらに盛んになっていったようです。

 そうして盛んになった同性愛は武家社会に普及していきました。それは「衆道」と呼ばれ、年長者が年少者を愛し保護する一方、年少者は年長者からの愛を受けて忠義を尽くすという封建社会的なものがあったようです。「葉隠れ」には男性の同性愛を至高の愛の形態とする記述もあります。鎌倉時代の史書「吾妻鏡」には稚児を扱う多くの記述が登場していますし、「増鏡」でもごくありふれたこととして同性愛がとりあげられています。多くの戦国武将がこの「衆道」を行っていました。ただ、これもあくまでも主従関係の延長としてのものであり、自由恋愛というものからはほど遠いものであったと考えられます。

 この時代までの「同性愛」は、対象が少年であり、また、その背景に宗教的意味や、主従関係などが存在しており、現代における同性愛とは区別する必要があります。文化的同性愛とでもいうようなものでしょうか。先ほど、仏教における同性愛に、キリスト教以前のギリシア・ローマ時代の「神殿男娼」に通ずるものを感じると述べましたが、「衆道」には、古代ギリシアプラトニック・ラブ(もともとは、当時一般的だった同性愛=少年愛をさしているものといわれる)を類推させます。ギリシア・ローマも、もともとは「多神教」を信じる地域であり、このあたりに、日本と似たような背景を有しているのでしょうか。この神殿男娼が、キリスト教によって徹底的に批判されているのは、以前キリスト教の話題で書いた通りです。

 江戸時代には、同性愛は庶民にまで広がりました。ここからは、制度化された同性愛文化というものから、自由になる様子がうかがえます。しかし、現在の同性愛とはやはりわけで考える必要があると思います。「文化的同性愛」は、純粋な同性愛というよりは、「両性愛」という側面が強かったし、江戸時代の同性愛は、「奔放な性」という意味合いが強いように感じるからです。

 江戸の町では、「陰間茶屋」などを通じての同性間の売春行為が容認されていましたし、男色文学なども存在しました。「東海道中膝栗毛」の北さんや白浪五人男の一人、弁天小僧菊之助などは「陰間上がり」という、元男性売春者という設定です。井原西鶴著「好色一代男」にも、男性間の性交渉が描かれています。この頃になってはじめて「男色」という言葉が用いられはじめました。

 ずっと男性間の同性愛についてのみ述べてきましたが、女性間の同性愛については、ほとんど知られていません。日本においても、ずっと女性の地位が低く、男性中心の社会であったため、女性の自由意志での性的関係というのは、ほとんど認められていなかったのだと思われます。

 江戸時代に至り、外国人が驚いて文章に残すほど、奔放に同性愛を受け入れていた日本ですが、明治以降、極めて短期間に、社会は同性愛を否定します。やはり、ここには西洋文化流入という影響が大きいと思います。もともと、日本において性は非常に自由なものであり、趣味や快楽として楽しむべきものだと考えており、そこに西洋的「倫理」などが入り込むことはありませんでした。そのため、江戸時代までの日本においては、人々の性行動は多様でしたし、それが正常か異常か判断する基準を持っていませんでした。

 しかし、西洋医学、あるいはキリスト教的価値観に裏打ちされた西洋社会の倫理において、性行動も、はじめて正常と異常に分類されることになったのです。当時の西洋社会の扱いに従って、同性愛は「異常」で「病的」とされました。また、同性愛に限らず、奔放な性は罪とされました。こうして、同性愛は「医学的には異常、倫理的には罪悪」と決められてしまいました。

 そうして、明治以降、同性愛を批判する書物が増えてくるようになりました。また、日本の歴史において、唯一同性愛が禁じられたのがこの頃です。「改定律例(1873〜82)」において、男性同性愛が処罰の対象とされました。ただし、これはその後の旧刑法には規定されず、現在まで、法律で規制された時代はありません。