オトメンと僕のトラウマ

血縁にまつわるもやもや

 親族の結婚式や葬儀などが続き、実に久しぶりにあれだけの親類が集まりました。

 血縁という関係性はありがたくもあり、ゲイとして生きる上ではこの上なく鬱陶しいこともあります。結婚へのプレッシャーなどもあり、僕にとって実家というのは必ずしも安らげる場では無くなってしまっています。僕が実家に安らぎを感じられない、特に父親とはあまり相容れないという感覚が、果たして僕がゲイであるということだけで説明が付くのかどうかはよく分かりません。しかし、とくに一人暮らしにすっかり慣れ、幼い頃に移り住み、その後高校卒業までを過ごした現在の実家よりも、もはや今の場所での一人での生活が長くなってしまった今、さらに実家が苦手になっていることにいろんなもやもやしたものを感じています。
 別段険悪な関係というわけではないのですが、なんとなく必要以上に近寄りたくないし、ゲイであるということをうち明けたい存在にも成り得ないんですよね。説明はしにくいんですけれども。特に父親には、ゲイであるということを除いた、他の僕の私的な部分にもあまり触れて欲しくはないんです。兄弟というのも滅多に連絡をとったり会ったりすることもない関係性で、特に何かを語り合いたいとも思えないんです。前にも書いたかも知れませんが、親しい友人の結婚式に出席したり、友人の子どもの成長をみたりしているときにもなんとも言えない「もやもや」を感じていたんですけれども、身内のそれに際して、比べものにならないもやもやを感じてしまったのかも知れません。血縁者に関して、未だに反抗期から抜け出せないのか、それ以外の理由なのか、ゲイであるということが一因なのか、単に僕の性格の問題なのか、心を許せないという自分を哀しく感じてしまうようなところもあり、ちょっと心のざわつきが押さえきれない感じです。

 年々、人付き合いを広げているようにも見えながら、実のところ自分の好き嫌いがより鮮明となりつつあり、好きな人間以外とのつきあいを極端に避け、また、一人の時間を欲する頻度が増えています。仕事の後、ちょっと買い物に寄ったりするのがたまらなく億劫で、早い時刻に病院を出ても自宅に直行し、かといって何もするでもないような日が、数年前に比べてやたらと増えているのです。酒も以前ほど呑めなくなったし、夜遊びがきつくなってる。年をとってしまったということなんでしょうか。

 ある友人が言っていたような感覚を実感しています。休みの日を心待ちにしていながら、休みの日が予定ガチガチで忙しすぎるのも嫌で、かといって予定が何にも無いのも嫌で、実際にはあれほど楽しみにしていた休みを無為に過ごしてしまうことが多いというようなことは僕も最近頓に感じているのです。仕事はそこそこ楽しいとは思うけれども、そこにすべてを集中してのし上がってやろうという思いはあんまりありません。外科医である以上、一人立ちするためにはもう少し努力が必要そうだけれども、そのためにプライベートがあまりにも犠牲になってしまうならば、メスをおくという選択肢は十分にあります。

父への距離

 父方の親類が亡くなって葬儀に出席しました。僕は極端に母方の親戚に偏ったつきあいをしていたのと、故人が実に九十年を生きた大往生ということで、あまり特別な感情がわき上がってきませんでした。そういった自分の冷たさが嫌になることも多々あります。

 考えてみれば、父方のいとこたちと会うのもおそらく十年ぶりくらいではないかと思います。父方・母方ともおおむねいとこたちは僕より少し年上くらいの世代です。いとこたちは結婚も割合早い時期にしているので、その子供のうちでも一番大きな子は中学校に通っています。いとこの子供となると、血縁としては結構遠い気もしますが、父方のいとこ同士はそれなりに行き来があって、いとこの子供同士も何度も会っているようです。そういえば、僕も母方のいとこの子供たちには頻回に会っていて、お年玉もあげています。

 父方の実家と母方の実家の距離は車で一時間はかからない程度なんですが、おおむね母方の実家に頼った生活をしていました。かつて母方の狭い実家に身を寄せたこともあったし、祖父母と離れての生活が始まった後も、しばらくの間、毎日母方の実家から小学校に通っていました。

 今回の葬儀に父方のいとこが時折涙をみせるのを冷静に見つめながら、そういえば母方の祖父母や叔父が亡くなった時には相応の深い思い出が蘇ったのを思い出しもしました。

 母の実家も田舎は田舎ですが、一応市制を敷いた町であり、母の実家は、今は寂れたといえ、市の中心の商店街の一角でした。それに対して、父の実家はそれは絵に描いたような村落で、店という店も無いし、田圃のあぜ道みたいなところ以外に家に到達する術のない環境です。周囲はほぼ全て田圃と畑、ただ家の裏手にあった竹藪は綺麗に消え去り、誰か知らない人の土地となって家が建っていて、村内電話番号四桁のみで通じた時代から、市町村合併で県庁所在地に吸収された今までの時の移ろいを少しは感じたりもしたのです。

 母方のいとこも含め、ほぼ全てが結婚した中で、親戚が雁首そろえる、しかも、村落のムラっぽさを存分に感じさせてくれる葬儀という場面が、不謹慎ながら故人を偲ぶことよりもむしろ、結婚しない人生を歩むということへの今更ながらの不安やいろいろをぐるぐるぐるぐる考えていまい、激しく心をざわつかせてしまったのです。

 折り悪く、先週まで平和というかヒマだった仕事も、久々の辛い手術と、その厳しい術後管理に始まり、また管理の厳しそうな症例を入院させたりなどかなり慌ただしく、そうした重症やら厄介ごとをまとめて急に上司にお任せしたまま、通夜と葬儀に出ていたこともあり、已むを得ないこととは言え、やっぱり医局や病院に長年洗脳されてきた奴隷労働者的な思考による罪悪感を感じてしまっています。それと同時に、ろくにお見舞いにもいかずに迎えた親類の死に対するもやもやとか、その死に関する自分の感情の薄さに対する嫌悪とか、ゲイである自分が「血縁」に対して感じる重いプレッシャーとか、負の感情がうねってしまってどうしようもないのですが、こうして文字にしてはき出すと落ち着くことが多いので、読む人の不快感とかを無視して書き殴っています。すみません。

オトメンと僕のトラウマ

 なんとなく録画しておいたテレビドラマ「オトメン(乙男)」を観る機会がありました。これは壮絶にトラウマをほじくりかえされるドラマでした。もちろん大抵の人にはこれは単なる娯楽であり、ファンタジーなのでしょうけれど。

 男らしさの中に乙女的な趣味を持っているが、それを恥じて外には出さない主人公。自分が幼い頃、父親が「本当は女になりたかった」と言って家を出てしまったことがトラウマになっている母親に「男らしく」育てられ、男性が乙女的であることを毛嫌いする母親に本当の自分を隠し続けて生きながらも、オトメンとしてのありのままの自分を受け入れてくれる友人たちとの日々に安らぎを覚えていきます。

 彼らの恋愛対象は女性であり、女になりたいわけではなく、あくまでも男性でありながら女性的な趣味を持っているというのがオトメンです。僕は恋愛対象が男性に向いているというだけで、そもそも女性的でありたいという願望はほとんどないから、オトメンとは特段共通点があるわけでもないけれど、心理的な部分ではいろいろ似ています。あと、もしかすると、僕は女性らしくありたいという願望を、自制して今に至った可能性もあるのです。幼い頃の僕は相当にオトメンだったし、基本的に男の子よりは女の子と女の子らしい遊びをしていたかったのです。

 推定すると恐らく2歳頃の誕生日の話だと思います。母親が、僕に誕生日プレゼントの希望をきいたことがあったらしいのです。僕はフランス人形を所望したらしいのですが、母親はとてもびっくりして、もっと男の子らしいものをと当時の僕に勧めたのだそうです。そんな話を笑い話として幼稚園生くらいの頃にきかされたのです。親としてはたわいのない話であり、笑い話なのかも知れないけれども、これは今日の僕にも強烈なトラウマを残しています。

 多分大人の顔色をうかがう癖はこの頃に始まったのだと思います。水が出るしかけになっている台所セットとかお洗濯セットみたいなものが欲しくても、それがチラシの「女の子向け」のおもちゃに分類されていれば、口が裂けてもそれが欲しいなんて言えませんでした。縁日で果物や野菜を模したおままごとセットを自分のお小遣いで買う時も、誰にきかれているわけでもないのに、「従姉妹にあげるんだ」とか妙な言い訳をしていたのです。

 本当につまらないことなのかも知れないけれども、僕の中では、僕の正直な気持ちが嘲笑われたフランス人形の思い出が強烈過ぎて、何となく肉親に心をすべて打ち明け難いのです。僕はオトメンの主人公ほど優しくは出来ていないので、母親を傷つけたくない、ショックを与えたくないというような他人を思いやる気持ちというよりは、自分自身がこれ以上傷つきたくないというようなほぼ利己的な思いから心を閉ざしてしまいがちです。オトメンの主人公が友人たちの前では正直に生きられたように、僕もカミングアウトがすんでいる仲間たちの中でこそ安らぎを得られるし、無神経に結婚の話題を振ってくるような、血縁という強烈な関係性が正直鬱陶しくて仕方がなくなることがあるのです。

 弟の結婚や祖母の葬儀など、親類と顔を合わせる機会が多かったこととも相まって、オトメンの母親という存在が、激しく僕のトラウマに触れた。「我慢の上には幸せは築けない」とか、「正直な人はほとんどいない。でもあなたにはそうあって欲しい」など、トラウマをえぐられたあとに感情を揺さぶる言葉が響くのです。原作は全く読んだことがないので、ドラマがどの程度原作を反映しているのかわからないのですが、ネット上での情報を拾い読みする限り、原作には「男らしさ・女らしさ」というものへの皮肉が随所に散りばめられているとのことです。今度読んでみようと思います。

 幼いながらに、親に養われなければ生きていけないと思っていたし、両親というところへの繋がりが切れてしまうことには絶望が伴うような気がしていました。それほど壮絶なことはなかったけれども、父親にはあまり理屈が通じなかったり、経済観念がおかしかったり、感情的で手が出やすいようなところがあって、それに対するいいようのない恐怖と不満が渦巻いてもいて、それについても未だに心を整理仕切れていない部分があるのです。それはただしかし、単に僕の幼さということなのかも知れません。

ゆるやかなコミュニティー

 先日もまた、よく食事に招いてくれる友人夫妻宅へ。長男は2歳半。僕を愛称で呼び、あわよくば何かおみやげをもってきてくれるおじさんとしてしっかり認知されている。数ヶ月前に彼に妹が誕生した際に、母親が「たーたんの宝物は、あなたとあなたの妹だよ」と話しかけたら、彼は自分の宝物は僕だと答えたのだとか。「宝物(おもちゃ)を持ってきてくれる人」と勘違いしているのではないか。

 友人夫妻は、僕の性的指向を知っており、さらには、その家に集う友人たちのほとんどもまた、それを知っている。いまだ両親にカミングアウトしていない、するつもりもあまりない僕にとって、彼らの家庭は、もっとも心を開いて過ごせる場所の一つになっている。

 昨日集まった友人たちの多くから。入籍したとか、近いうちにする予定だとかいう話をたくさんきいて、結婚式にお呼ばれするなどした。結婚と言うことがあまりイメージできなかったような人々が、次々に結婚していくのをみていると、それが人生の様々な形の一つの形態に過ぎないとは言え、やはり生命として自然に帰結する場所なのかも知れないなとも思う。

 幅広い年齢の方々と親しいおつきあいをさせて頂いていることもあり、毎年たくさんの結婚式に呼んで頂く。数年前に、「今年がお呼ばれするピーク」なんて思ったことがあったけれども、さらに若い世代へ、若い世代へとつきあいが広がるために、翌年以降もコンスタントに誰かの結婚式にお呼ばれしていたところへ、今年から来年にかけては、同世代の中でまだ結婚していなかった友人たちがこぞって結婚を決めたために、数年前のピークを超えて、また喜ばしい席へご招待頂いている。

 若い世代へと交流を繋げていくのは、僕が若くて綺麗な男性を好む傾向にあるということだけではなくて、おそらく血縁という意味での子孫を残すことがないであろう自分が、擬似家族的な何かを求めての行動という気もしている。最近の僕は同性愛者というよりは、無性愛者とでもいうべき心境にもあって、性的接触の欲求よりは、ゆるやかな友人関係というよなコミュニティーを希求しているような気がする。

 友人夫妻の子どもたちへの愛というのは、自分の子どもの成長をみているような喜びを感じさせてくれるのと同時に、やはりその子は友人たちの家庭の中に存在するものなのだという一種の壁を改めて感じ、いいようのない寂しさにとらわれたりもする。

 僕はかつてより、教育を受けられない子どもの存在や、それに伴う貧困の連鎖ということに強い懸念を感じており、自らの手でどうにか介入できないかということをずっと考えていたし、そういうことを時折ネットで書いたりもしていた。それと同時に、僕はせいぜい「偽善者」にはなれるけれども、真の慈善を行うことはできないということをしっかり自覚していた。なんらかの見返りがなくては善行など積めそうに無いのだ。

 ゆるやかなコミュニティーということと、孤児院というか、経済的に困窮した子どもたちをゆるやかに保護し、教育の機会を与えてあげられるようなシステムを立ち上げられないかということを最近ずっと考えている。

 フランスにおいて、カトリーヌ・オンジョレさんによる「パラン・パル・ミル」という名の「半里親」援助活動をしている団体のことを、ある方に教えてもらった。里親といっても、養子にするのではなく、里親になりたい大人が自分の自由時間の中で他人の子供の面倒を見るという「半里親」の制度である。これは、僕の夢想する「ゆるやかなコミュニティー」というイメージと重なってくる。さらには、「教育の機会を与える」というような目的にも近づけそうであり、なによりこれは、善意の押し売りではなく、それぞれが求め合えるギブ&テイクの関係性でいられるのではないか。アンバランスな力関係の中、自己犠牲や奉仕の精神だけで支える活動の危うさは、ナイチンゲールも指摘していたと言うけれども、こういった方法であればうまくいくのではないかと思う。

日本財団会長の同性愛嫌悪

 大変ごぶさたしております。
 アメリカ合衆国ではオバマ新大統領が宣誓式を行いました。ところで、昨年11/4のアメリカ大統領選の陰に隠れて、住民投票によって可決されたProposition 8というものをご存じでしょうか。これはカリフォルニア州で、同性間の結婚を廃止するための憲法改正案です。5月に同州最高裁が出した同性婚を認める判決を覆すものです。また、その同じ日に、フロリダ州アリゾナ州でも同性婚禁止が可決されてしまいました。
http://en.wikipedia.org/wiki/California_Proposition_8_(2008)
 多数派には制定少数者(マイノリティ)の思いというのはなかなか伝わりません。子供を産めない同性愛者がなぜ結婚をという声は常にきこえてきますが、現代社会において、結婚という届け出をすることによってのみ受けることのできる恩恵と、結婚できないことによる不都合というのは数え切れません。
 残念ながら、日本にはまだ同性婚やパートナーシップの制度は存在しません。しかし、同性婚やそれに準ずる制度は、多くの国で権利として保障されています。このProposition 8が特に異常なのは、すでに裁判所が憲法に基づいて同性婚を認め、何組もの同性パートナーが誕生しているのに、わざわざ憲法を改正してまでこれを覆したことなのです。住民投票の結果、52.3%がこのProp.8に賛成したのですが、これは、数の力で少数派の人間の権利を剥奪したということなのです。さらには、過去に認めた同性婚を遡って取り消せという運動もあるようです。
 しかしその一方で、「ロサンゼルス・タイムズ」や「ニューヨーク・タイムズ」などのアメリカを代表する新聞や、GoogleAppleなどの有名な企業などがこのProp.8に反対の声を挙げています。また、特筆すべきはプロテスタント主流派、カトリックユダヤ教などの多くの宗教団体が、Prop.8に明確な反対の声を挙げてくれているのです。かつて同性愛に対して不寛容な宗教についての苦言を述べたことがありましたが、今回のこうした動きは非常に心強いものだと思います。特に西洋人にとっての宗教というのは、我々日本人には想像に難い大きな存在でしょう。
http://www.noonprop8.com/
http://www.noonprop8.com/about/who-opposes-prop-8
 そうしたProp.8の話題を導入に、日本財団(日本船舶振興会)の会長、笹川陽平氏が、自身のブログにおいて、1/21に「同性愛!! 二大超大国 アメリカと中国」と題してホモフォビアを隠さないエントリを記しています。
http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/1734

アメリカでは、今から50年近く前でも同性愛は珍しいものではなく、「アメリカ訪問時は同性愛に気をつけろ」と注意されたものである。バス停で待っているとキャデラックが停まり「どこに行くんだ? 送ってやるよ」としばしば誘われた。また知人の家を訪問した折には大の男が二人、一つのベッドに寝ているのを見て気分を悪くしたこともある。

当時は1ドル360円時代である。日本からの貧しい留学生は、保証人や住宅の確保を善意のアメリカ人に頼らざるを得なかった。そうした善意のアメリカ人の中にも同性愛者がおり、興味本位か経済的理由であったのかは知らないが、彼らによって、その道に入った日本人留学生もいた。

サンフランシスコでは随分前から、市長選挙は同性愛者の支持なくしては絶対当選しないといわれ、強い影響力を持っている。

私自身は、性同一性障害という不幸な病気を背負った人のいることは承知しているが、同性愛はどうしても理解できない。

現在、中国の同性愛者は約3000万人といわれ、最近までは精神的障害者として精神疾患の公式一覧表に掲載されていた。ところが中国社会科学院の李 銀河研究員の調査によると、「同性愛者であることが職業選択にあたって不利な条件になるか?」との調査で「ならない」と答えた人が米国の86%を超えて90%であるという。この結果「中国社会が、同性愛により寛容になったことは大きな進歩だ」としている。

近頃は公共の場で抱き合ったりキスをする姿も珍しくはない。一人っ子政策の結果、男女の比率は男130に対し女100。この数字は将来更に同性愛者が増加することを意味している。

同性愛者が異性愛者と人格的に平等で、雇用も平等の機会を持つ社会になったというアメリカと中国は、同性愛者の二大超大国である。

 ハンセン病患者への差別根絶に取り組む一方での、同性愛者へのこの無理解、いや無理解というよりもむしろ悪意と差別しか感じられないこのエントリに幻暈がします。

みなさまのご意見を拝聴しました。こんなに沢山のコメントが寄せられるとは思ってもみませんでした。コメントが沢山寄せられた為、回答のコメントをします。


性同一性障害について

性同一性障害の方が、不幸と思われていない事、また、私が不幸であると書いた事に憤慨されている事は判りました。気分を害された方には謝ります。


同性愛について

残念ながら、私は異性愛者です。この為、同性愛という物がどうしても理解できません。理解できないと言うか、受け入れられません。

考えてもみて下さい。1つのベッドに大の大人が二人、寝ている。それも男同士。だきついていたりもしたら、身の毛もよだつ事です。この感覚は判っていただけますでしょうか?それがへんでないとおっしゃるのなら、そう思っていればいいのです。しかし、この世のほとんどの人は口に出さないだけで、実際は軽蔑し、生命倫理に背く行為か、気持ち悪いと思っているでしょう。

同性愛が自由だとおっしゃるのは自由です。でも、それと同様に私が同性愛が理解出来ないとブログで書く事も自由です。

その点は反論させていただきます。

私は絶対に同性愛は指示しません。
Posted by: 笹川 陽平  at 2009年01月24日(土) 00:39

 上記引用の「指示」は原文ママ。ちなみにこれはコメント欄に書かれていたものなので、本人の返答かどうかは厳密にはわかりません。
 嗜好では無く、修正不可能な「性的指向」と、それを受け入れられずに苦しみ自殺さえ選択してしまう若者のいる現況、同性愛者に対し死刑を含む刑罰を科す国から難民まで発生している状況を全く理解されていないようです。男性の比率が高くなった中国では、自然同性愛者が増えるという不思議な論理まで飛び出す始末です。
 多数派である人間にとって、我々が理解しがたい存在であるというのはわからないでもないですが、「ハンセン病への差別を無くそう」といっている人間が、一方で「同性愛者は気持ち悪い」と言っているというのはどうにも愚かしいことであると思います。
 当該記事に寄せられた批判のうち、特に思春期の若者たちの悲痛な叫びが、完全にかき消されてしまっているということには強い哀しみを感じています。
 追記。1/24付けで「お詫び」が掲載されたようです。
http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/1755

21日付で掲載した「同性愛!!二大超大国 アメリカと中国」に多数の抗議、批判をいただきました。アメリカ同様、中国でも同性愛に対する社会的認知が進んでいる事実を紹介するのが趣旨でしたが、長年、世界の「ハンセン病患者、回復者に対する偏見差別」の撤廃活動に邁進してきた者として軽率な発言であったと反省しております。

同時に同性愛や性同一性障害の方々がいわれない差別や中傷に直面されている現実、さらにその背景にハンセン病と同様の差別の構造があることをあらためて知りました。性同一性障害を「病気」などと記した軽率さも恥じています。

今回の経験を真摯に受け止め、思いを新たにしてライフワークであるハンセン病の制圧と偏見差別の撤廃に向け活動を続けたいと思います。

掲載日当日からからロンドンに出張しており、対応が遅れたことを併せてお詫びします。なお24日付のコメント欄に私と同名の「Posted by 笹川陽平 2009年1月24日(土)00:39」の書き込みがありますが、私とは一切無関係であることを申し添えさせていただきます。

同性愛者のライフプラン

 僕は、自分が同性愛者だということを理解する上で、当初、数パーセントの異性愛の部分を意識していました。しかし、今考えてみると、それは、結婚とか出産とかいう可能性を残す上で、自分の素直な感情に嘘をついていた部分なのかもしれないなとも思うのです。
 恋愛ということを飛び越えて、家庭が欲しいなと思ったりするのです。惚れっぽいところがあるのは確かですけれど、精力的に激しい恋愛を繰り替えすというタイプではないんだといます。一人に慣れてしまったというだけなのかも知れませんが。
 子供が欲しいなという思いも日に日に強くなっています。恋愛を飛び越えて子供や家庭を得るのであれば、恋愛ではない信頼関係のもとに、異性との結婚もありなのかもしれませんが、現実には相当難しそうです。養子をとることを本気で考えたりもするのだけれど、その子供に嘘をつきたくはないし、社会から奇異な目でみられるような業を背負わせたくもありません。他人の人生に介入するのには、相当な責任が生じます。
 両親が生きているうちに、もしそういう選択をするならば、セクシャリティについてちゃんと話さなければならないのでしょうか。でも、僕は両親にはカムアウトするつもりは全く無いんですよね。根拠のない予想だけれど、両親へのカムアウトは、誰も幸せにしない気がするのです。誰に恥じることでもないのだから、すべてオープンにすればいいというものではないと考えています。
 おそらく、少なくともはっきりとして拒絶はされないとは思います。でも、なんとなくよい方向への道筋は見えてきません。僕の家の場合は多分、うやむやになっちゃうのがベストなんだと思うんですよね。
 幸いなことに、自分が食っていくということに関しては、今のところおおむね安心していられるのです。医療の現場で働いていくのには、様々な問題もたくさんあるのは事実ですが、なんだかんだいっても、国家資格を持ってるってのは強いと思います。いままで僻地の病院などを渡ってきたことで何でも屋的なスキルを身につけたのと、一応消化器病とか内視鏡を専門と言ってもいいかな、という武器もあります。
 同世代のノンケたちは、おおむね結婚し、子供を授かっています。そうして、生活の中心や人生の目標をうまいことシフトしているのではないかと思います。ノンケが季節感のある人生を歩むのに対し、キャピキャピの恋愛期、人生の夏を謳歌できるようなタイプのゲイはホント年をとりません。僕自身は、そろそろ秋を迎えたいと思っているのです。普段、夏が好きだといっているのは、夏という季節への愛というよりは、その後の季節への恐れがあるんだと思います。
 人生としての実りの秋を求める一方で、毎年季節としての夏が終わることに対して相当な哀しみと喪失感を味わっています。これは、人生としての秋を迎えられないということに対しての不安や恐怖を、実際の季節に重ね合わせてしまっているのかも知れません。
 ノンケのように、家族を養うとか、子供の未来を期待するというライフプランがない以上、本当に自分という個人のことだけを考えることになります。そして、僕には大学で偉くなるとか、過剰な高賃金を求めるとかいう欲求がないので、医師免許だけしたたかに使って、もっと自由に生きればいいのではないかと考えるわけです。
 もともと、わりと極端な意見をもっていたり、組織のために自分を犠牲にしたくないと考えていたりすることもあって、ずっと田舎に住んで、医局に属してというのは難しいだろうということはなんとなく考えてはいました。早い時期からいろんなことを考えて、母校を離れて都内で働いている同級生たちからも、よく、僕のようなタイプの人間は田舎よりも多くの価値観に触れる都会に住むべきだといったことを言われ続けています。そうしたことを言ってくる相手は、カムアウトはしてあったりしてなかったりいろいろですが、セクシャリティに関係なく、そういった雰囲気を身にまとっていたのかも知れません。
 実のところ、セクシャリティ以外の理由では、田舎がそんなに嫌いというわけではありませんし、今住んでいる場所にも相当に馴染んでいます。しかし、この狭い土地では、僕のような少数派が幸せになるための価値観を見つける可能性が小さくなってしまうのは事実です。この感覚は多数派の人間にはなかなか理解できないかも知れません。

中居さんの判断

 性同一性障害であることを公にしている中村中さんが紅白に出場したときの舞台裏。いまさらながらここにクリッピングしておきます。実際にSMAPの中居さんがどういう思いで判断したのかは分かりません。しかし、実際にカットされそうな場面を彼が救い上げたことは確かなようですし、性的少数者にとって好意的な扱いであったことは間違いないようです。
http://www.ohmynews.co.jp/news/20080106/19334

紅白歌合戦で中村さんは胸元の開いたミニスカートの真紅のドレスに身を包み、真紅のバンドで髪をまとめ、紅組司会でSMAPのリーダーである中居正広さんの脇に登場した。

 彼女の歌の前に、性同一性障害を抱えた歌手であることを紹介するVTRが流され、その後、白組司会の笑福亭鶴瓶さんによって、中村さんの母から届いた一通の手紙が読み上げられた。性同一性障害を抱えるに至ったことを詫び、彼女を応援する温かい気持ちが詰まった手紙だった。涙を必死にこらえる中村さんは聞き終えると、

 「いいです。私はこうして生まれてますから。親不孝かもしれないけど、歌を歌っていくことが親孝行かもしれない」

と気丈に返した。そして、彼女はステージの真ん中に立ち、代表曲である『友達の詩(うた)』を歌った。

 だが、実をいうと、この感動的なシーンはカットされる寸前だったことが関係者の証言で明らかになった。脳科学者で紅白審査委員を務めた茂木健一郎さんが自身のブログ(1月1日付)にて、紅白関係者の証言として舞台裏を明かしている。

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2008/01/post_4858.html

 「すごいと思ったのは、中村中さんの
ときなんですよ。
 あのとき、2分半押していて、
とにかく巻け、巻けと指示を出しても、
中居さんは顔を横に振って、
 言うことを聞かない。
 どんなに時間が押していても、
中村さんのエピソードだけは
きちんと話さないといけない、
 そんな風に中居クンが判断した
んでしょう。
 そして、その中居クンの判断は
正しかったと思います。
 あれが、今回の紅白で、一番
しびれた瞬間でした。」

性同一性障害

同性愛の「治療」

 同性愛を治療できるかという話。結論から言ってしまえば、僕は不可能だと考えています。ただし、それは同性愛を受け入れている一個人の単なる思いであって、治療できるものなら治療したいと考える当事者がいてもおかしくないとは思っています。重要なのは、何事も強制すべきものではないということです。個人的感想としては、同性愛を治療しようとした歴史は、同性愛者にとって不幸であっただけだと思っていますし、同性愛という性的指向は、深く人格の根底に関わる部分だと考えていますので、それを変更することは、ほぼ人格を改造することに等しいという思いが強いのです。

 以前も書いたことがありますが、同性愛は、精神障害として治療を試みてきた歴史があります。例えば、イギリスで始まり、しばらく世界中で広く用いられたものに、電気ショック療法があります。ある宗教団体で、現代においても同性愛者に対して強制的に行われているとの噂もあるこの治療は、同性の裸の写真を見せながら電気ショックを与えるというものでした。あまりにも乱暴なものであり、「治療」効果もほとんど認められませんでした。

 現在、国際医学会やWHO(世界保健機構)では、同性愛は異常なものとはみなしておらず、治療の対象からも外されています。同性愛などの性的指向については発達障害などとは別のもので、矯正しようとするのは間違いとの見方が主流です。日本でも国際的な流れに従い、1994年には旧厚生省が同性愛を疾病リストから除外しました。また、その翌年には日本精神神経医学会も同性愛は疾患ではないという見解を明らかにしています。

 僕自身、当事者として、また医師として、同性愛というのは治療できるようなものではなく、また治療すべきものでもないと考えています。一部には、宗教指導者などを中心に、矯正を試みる動きも存在はしています。しかし、僕は、例えば「赤色が好き」といっている人に、無理矢理それを否定し「青色を好き」にさせるための「治療」に意味が無いのと同じようなものだと考えています。また、それがあくまで「異常」であり「治療の対象」あるいは「宗教的背徳」とされてしまうことに強い抵抗感を感じています。

 確かに、僕も普通の異性愛者であったならば、いろいろと悩まずにすんだだろうなと思うことはたくさんあります。しかし今では、ゲイであるということで知り合えた人々や新しい世界に感謝していますし、自然な自分として、ゲイである人生を全うしたいと考えています。

 もちろん、同性愛者である自分が嫌で、精神的に苦痛だという人が大勢存在するのは、僕自身も当事者であり悩んだ過去もありますから、もちろん理解できます。また、そうして苦痛に感じる人間がいる以上、それを「治療」しようとするという考えも間違いではないとは思います。

 生命の危機や身体的苦痛、疾患に伴う社会的な不都合を治療することと比較して、「精神的な疾患」の治療は全般的にわかりにくいものであると思います。ホルモンや神経伝達の異常によって惹き起こされる精神疾患に対して、科学的にある程度証明できる範囲での薬物治療が行われる一方で、いまだその病態が解明されず、経験的に効果があると思われる治療が行われている部分も、身体疾患に比べて非常に多いです。社会的、医学的コンセンサスとして、また、僕自身の考え方として、科学的にはっきり病因がわかっていなくても、精神症状の結果が社会生活にそぐわないものであれば、治療が施されなくてはなりません。それ以外に、例えば審美的な問題に関しては、社会的な問題や、生命の危機などには繋がるものではありませんが、例えば単純に外科的な処置を施すことで対応できる部分も多いと思います。

 ただ僕は、同性愛者が社会生活を営むにあたって、正常な判断力を欠くような状態とも、その「異常」によって生命に危機を及ぼすものでも、他者に危害を加えるという意味での「反社会的」な存在とも思いません。その上で、個人の意識の根底に関わる部分を変えるというのは、冒頭に述べたように、人格改造とか洗脳に近いものという印象があります。例えば、異性愛者にも、好みの異性というのは様々であり、その好みが一般的ではないからといって、「治療」を受けてどうにかなるものなのでしょうか?

 僕自身は、ゲイであるということは僕であるということだと思っています。僕がゲイでなくなるときは僕ではない人格なんだと思うのです。正直なところ、いまだに、結婚もしたいし、自分の子どもも持ちたいと思ってはいるのですが、僕はほぼ男性しか愛せないのです。どんな色が好きだとか、どんな食べ物が好きだとか、どんな本が好きだとか、そういう説明できないレベルで、僕はゲイなんだと考えているのです。

 僕は外科医であり身体科医なので、精神疾患に関する専門家というわけではありませんし、同性愛ということについても、当事者であるというだけで専門家ではありません。そして、僕は自分がゲイであることをほぼ受け入れています。そういう意味で、同性愛を治療したいと考える当事者の方々とは、意見を異にする部分は多いと思います。しかし僕は、持ってうまれたその人特有の性的指向(この時点で異論もあるのでしょうけれど)を治療しようと言われることは、やはり、自分たちが「異常な存在であり、治療すべきものだ」と世間に言われているようであり、不快で受け入れがたい部分が大きいのです。

 繰り返しますが、自分の本当に好きなものを「治療」によって修正するというのは不可能なのではないかと思っています。「洗脳」によってそれが変更されたということは、人格の破壊であって断じて治療ではないと思っています。

 同性愛者はきっと身近にいますが、少数派であり、多くの場合隠れています。同性愛者の友人や恋人をつくるということには、異性愛者が目に見える存在である異性愛者の中から気の合う人間とつき合うのに比べ、多大な力を必要とします。そして、そうした一歩を踏み出せない同性愛者にとっては、自分が同性愛者からも否定されているように感じるようです。しかし、僕の感覚としては、同性愛という性的指向を変更するということのほうが、それよりも相当に多大な力を必要とするように思えるのです。もちろん、人によってその感覚は違うでしょうから、同性愛者であることを自覚しながら、それを「治療したい」という思いを根底から否定するものではありません。

 同性愛者の友人をつくるにあたって、最初の一人という入り口を開くのには相当な力を要しますが、そこからの繋がりなどで、それ以降はかなり楽に広がる部分もあると思います。もちろん、最初の一人の人脈にもよるでしょうし、同性愛者だというだけで誰とでも仲良くなれるわけではありませんけれど。

 僕がゲイの友人を初めてつくったのも二十代後半でした。様々なとまどいの中、数少ない自由時間を使って懸命に切り開いた道です。その当時は、自分が同性愛ということを受け入れているのかどうか、自分でもよくわからない時期でした。ですから、同性愛ということを自覚しているのであれば、その後どのような方向へ進むにしても、同性愛者の友人をつくってみるのも悪くはないと思います。少なくとも、現時点では「治療」ということを考えるよりは、よほど少ない力で切り開ける道だと思うのですけれど。

第6回東京プライドパレード

http://parade.tokyo-pride.org/6th/index.shtml
 去る8月11日(土)、第6回東京プライドパレードが行われました。これは、昨年までは「東京レズビアンゲイパレード(TLGP)」と呼ばれていたものです。性的少数者が社会へ存在をアピールし、差別や偏見をなくそうと呼びかけるもので、LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)や、その理解者たちによって担われてきました。
 昨年までの名称では、LGBTのうち、「レズビアン」および「ゲイ」のみが掲げられていることになり、それを疑問視する声が前々からあったようで、今回からは、世界的にも広く使われている「プライド」の呼称を用いることにしたようです。
http://d.hatena.ne.jp/deltoideus/20070303#p1
 以前書いたように、僕の中には、ゲイのムラ社会の中にひっそりと身をおいていることを良しとしている部分もあります。実際、完全な孤独の状態から脱した時、同じような性的指向者のムラ社会的コミュニティーに浸かるというのは、それまで常に外界に気を使って生きていることの多い性的少数者にとって、非常に心地よい部分もあるのです。また、ゲイであることを恥じることでは無いと思っていながらも、それを公にすることが必ずしも正しいということでも無いと思っている部分もあるのです。
 実のところ、LGBTという括りも非常に大雑把なものであって、ゲイにはゲイの、トランスジェンダーにはトランスジェンダーの独特の悩みが存在すると思います。また、一口にゲイといっても、その思想も様々ですし、皆が必ずしも同じ方向を向いているわけではありません。
 LGBTであることを公にすべきだとか、隠していたいとか、そんなことに悩まなくて良い社会、パレードなんて行わなくても、LGBTの存在を受け入れてくれる社会というのが理想であることは言うまでもありません。
 個人的に、現時点で、日本のプライドパレードは、アピールするというよりは、単に性的少数派同士が「群れ集まる」という部分や、LGBT自身が肯定のシャワーを浴びるためのお祭りという要素が大きいように感じています。ただ、僕は、とりあえずはそういう場でいいのではないかと思っています。
 おそらく、LGBTがもっと社会に声をあげるべきだという「LGBTの権利推進派」にとっては、単なるお祭り騒ぎのパレードとして歯がゆい部分があるかも知れないし、ただ単に、自分を否定されない場にひっそりと加わりたいと考える人間にとっては、思想や政治の色がみえることに拒否感を示すかも知れません。
 個人的な感想ですが、概して日本人は、LGBTに限らず、思想・思考、政治、宗教といったことに拒否感を示し、自分の考えをはっきりと示すということが不得手な人が少なくないというイメージがあります。僕にとっては、パレードはまず、仲間に出会えていなかったり、社会から「肯定」されるという体験をしていなかったりするLGBTが、肯定のシャワーを、祝福を浴びる場であって欲しいと思うのです。みんながみんな、確たる指命や思想を持って、社会に働きかけるということでなくても構わないと思っているのです。繰り返しになりますが、無論、最終的には、自然とLGBTが受け入れられる社会であり、パレードなんて行わなくてよい社会なのだとは思うのですけれど。
 東京プライドパレードは、今年、大きな変革の年であったようです。組織作りの過程や、政治との関わり、あるいは前述したような、パレードへの様々な意識の違いなどから、東京プライドという組織や、あるいはパレードという行事そのものに批判の声があることは知っています。
 無責任な立場から感想を言えば、まあ、そういったことは仕方が無いとも思います。今年は、様々な政治家の参加があったり、直前に国政選挙があったりしたことで、政治の匂いを感じさせたことは確かです。LGBTだから、あるいはその理解者だから無批判に政党や政治家を支持するものではありませんし、僕自身、パレードに関わった政治家たちを全て支持しているわけでもありません。
 また、そもそもプライドパレードが、唯一絶対のLGBTを代表するアピールであるとも思いません。ただ、数少ないLGBTが、LGBT同士で無駄にいがみ合ったりするのも賢明ではないとも思っています。多様性を一般社会に受け入れてもらおうと思うのであれば、LGBT同士が、その多様性を尊重しあい、仲良くすることができたらいいなと思っています。
 僕は、パレードには一昨年初めて一般参加し、昨年からはボランティアスタッフとして参加させてもらっています。組織作りや、下準備、折衝などの一番大変な部分には関わっていませんので、東京プライド理事や、パレード実行委員のみなさんにしかわからない苦労があると思います。そうした方々にとっては、非常に無責任な感想であるととられてしまうかも知れませんが、現時点での、僕の素直な感想です。
 僕にとって、東京プライドパレードは、非常に大切なものです。だからこそ、LGBTのみんなが、気負わず参加できるものであって欲しい、そう願うだけです。救護ボランティアの面々とは、昨年のパレードで知り合って、今回ほぼ一年ぶりに再会するのに、非常に打ち解けた雰囲気で仕事が出来たし、毎年乱れ気味の打ち上げも本当に楽しかったです。一年のうちで、あそこまで肯定のシャワーを、祝福の感動を与えられる機会は他に無いし、ゲイで本当によかったと心の底から思える瞬間でもあります。
 一年分の元気をもらいました。来年もまた行きますよ、きっと。