自覚

 僕が同性愛者であることをはっきり自覚したのは、医者になったあとのことでした。インターネット黎明期は、ゲイサイトといえば、「性欲」を全面に押し出したようなものが圧倒的に多かったように記憶しています。ゲイサイト、自覚以前から気になって、みてはいたんですよね。今考えると、なんでそうやってゲイを相当に意識していながら、はっきりと自覚できていなかったのか、自分でもよくわからないので、おそらくノンケ(異性愛者)には、この気持ちはさらに理解しがたいのでしょう。

 ゲイであることを自覚しきれず、わずかな異性愛の部分だけを大事にしようとして生きていたために、性欲という部分では割と潔癖な僕でしたから、そういった「エロ」に特化したサイトは、かえって拒絶の対象でした。心とは裏腹に、体はそういった性欲にも反応していたものの、心の部分が追いつかず、性欲としてはゲイであるということを、振り返れば相当昔までさかのぼれるにも関わらす、当時の僕は、自分がゲイであるとは思わなかったのです。否、おそらく、思わないようにしていたのです。

 ただ、次第にインターネットを利用する人口が増えてくるに従って、様々なマイノリティもウェブ上に登場しはじめました。それによって、同性愛者たちが、ただ普通に日常を語るようなサイトも増え始めたのです。そこに至って、はじめて僕は、いわゆる「オカマ」のように、女装してオカマ言葉を話すような人々以外にも、同性愛者がいるんだということを知るようになったのです。その状況は、自分にぴったり当てはまりました。そして、そんな人がたくさんいるということに気付いたのです。

 ただ、研修医1年目は、同性愛とかそんなことに悩んだり、プライベートな時間のことを考えるには忙しすぎる時期でした。2年目に大学を離れたとき、病院から遠く離れることはできず、拘束はされていたものの、その中で自分の時間も多少はできたので、いろいろ考えたりすることが増えました。田舎に勤務していたので、周囲に友人や知り合いなどはいませんでした。しかし、病院からの電話を気にしなくてもいい、純粋な自由時間というものがなかったので、友人と会ったりすることもなかなかできませんでした。1年目は、寝る時間もないほど追い込まれていたので、そういうことを考えるヒマがなかっただけの話なのですが、そう言ったことが相当なストレスだと初めて気付いたのもこの頃です。その時期とちょうど重なって、自分がゲイであるということを自覚し、ゲイの友人をつくりたいと思っても、拘束された空間から飛び出すことができなかったのです。患者の容態や急患によって、いつ呼ばれるかわからない、実質24時間365日フルタイム約束されていたために、きちんとした約束ができない身でしたから、気心の知れた友人と会うのだって大変でした。そうした状況をわかっていてくれて、ドタキャンの可能性を承知してくれている人としか会えませんでした。しかも、自分の中で、せいぜい病院から1時間くらいの距離が限界だと思っていましたから、遠方で誰かと会うとか、何かのイベントに予定をしっかり決めて出かけるというのは、ほぼ不可能でした。

 この状況というのは、病院の規模や常勤医の数、オンコール体制の状態などによって、相当かわってはきますが、外科の臨床医として働く以上は、生涯ついてまわることです。もちろん、ある程度はそういうことを覚悟して飛び込んだわけですし、人命のかかっていることですから、自己犠牲も已むを得ませんが、自分の全てを犠牲にすることを求められるとしたら、医者をやめなくてはいけないな、と思ったのもこの時期です。

 僕がもしノンケだったら、プライベートをすべて犠牲にしながら、病院で身を削って働き続ける自分に陶酔して、なんとかやっていったかも知れません。ノンケは、そんな生活をしながらも、病院を転々としていく中で、新たな出会いもたくさんあり、恋愛をすることもできるだろうし、ゆくゆくは結婚して家庭を持つのでしょう。そして、滅多に帰れないような状況になるかも知れませんが、それでも家庭という拠点ができ、家族を養う、子供を育てるという、社会的にわかりやすい目標を掲げることができると思います。