医者のプライベート

 僕は、自分の予定を優先して患者を見捨てるようなことはしない、何があっても患者が最優先だ、とか言って、熱く医療を語る人があまり好きではありません。少しきくと立派なことを言っているような気がしますが、僕は非常に気持ちが悪いのです。人間的じゃないような気がしてしまうのです。そして、そういう熱い人々は、しばしば、自分たちの考えが一番崇高だと思っていて、必ず自分の部下にそれを求めます。正しい方向へ向けばいいのですが、たいてい歪んで、仕事もないのに病棟に張り付くことが正義になったり、無条件に上司に付き従うことを要求したりすることになっているような気がします。体育会系の悪いところだけ抽出したような感覚。でも、僕も多分そういう「熱い」部分と紙一重でした。性的指向が異性に向いていれば、プライベートで好きなライブに行けないことも我慢して、若い看護婦とたまに呑みにいくことを楽しみに、昼夜ただ働いていたかも知れません。

 土日も休まず働いてますよとか、少しでも心配なら病院に泊まり込みますよとか、そういうことを黙ってやっているうちはいいのですけれど、それを声高に表現されると少々鼻につくのです。もっとも、僕も少なからず、「連続何日勤務」とか「今日も夜通し働いた」とかいうことを表現することがあるので、そういうのにイライラしてた人も多かっただろうなと思ってます。ま、多少は発散させてください。

 僕は僕なりの判断で、患者さんの容態に会わせて時間外や休日の勤務や待機をしていますが、それなりに自分の時間も大切にするし、酒ものむし、遊びにも行きます。 「趣味は特に無いし、全ての時間を医療に使う」っていう人は、まあ立派だし、ご自由にやっていただいていいのですが、僕は正直あんまり共感できません。そして、何かにつけて、自分の時間をとりたがるような人に対して、「あいつは頑張っていない、ダメな奴だ」みたいな態度をとるのがどうにも許せません。

 患者さんの求めが今の医師の激務を生んだ部分ももちろんありますが、医師自体のそうした気質が、自らのクビを絞めている部分も大きいはずです。全ての時間を医療に捧げるような人は、自分が黙ってそうして働いていることに満足していればいいのに、多くはそれを他人にも求めている気がします。ひどいのになると、自分が「かつて」そういう仕事をしたということで、自分の部下たちにそれを強いて、しかし自分はあんまり働こうとしないのです。

 実際、手術後の患者さんが多く病棟にいる状態で、土日の間、誰も医者がいかないなんてことは、当番制をひいていなかったとしてもほとんどあり得ないことで、みんなそれなりに気にして顔を出して指示を出すんです。でも、当番じゃなければ、時には朝寝坊したり、遊びにでかけたりもします。そういうのを許さないような上級医が少なからずいるのですが、僕はむしろ、みなある程度は自由な時間を持つべきだと思います。落ち着いている病棟に、上級医が顔を出しているから行かないわけにはいかないと、無言の強制下の若手医師の出勤は必要ないのではないでしょうか。

 無論、一人では患者さんの状態がきちんと把握できないようなよちよち歩きの研修医の時代に、病棟はりつきとか、激務の当直とか、そういう荒行を何度かは経験しておくことは重要だと思いますが。それにしても、例え月に1日でもいいから、上級医から「この日は休みなさい」といってあげる日をつくるべきだと思います。そして、そういう時間を、医療以外のことに使うのも、人間として自然で美しい状態なんじゃないかと思うのです。

 少なくとも、僕は自分が医者にかかるとき、病院のことしか知らない医者よりは、世俗的な医者の方が安心できるんですよね。