出会い

 若いゲイたちが、その有り余った時間を自由に使っているのが羨ましく、まさに人生を謳歌しているように思えたということの根元は、こういった、医者のプライベート事情によると思います。まあ、それでも多くの医者たちは、制限された自由の中でも、いろんな人間との出会いがあったり、近場で遊ぶ術もあるだろうし、あるいは結婚して家庭を持つということもできるでしょう。しかし、ゲイにとっては、まず出会いの段階から相当な苦労をすることになります。もともと、狭い世界の中で限られた友人とだけ遊ぶというのではなく、新しい出会いももちろん大好きでしたが、それはあくまで普通の生活の中でのことでした。すなわち、部活動で遠征するたびに、他大学との交流を深め、仲の良い友人をつくるとか、音楽を趣味にしているので、その繋がりで友人の友人と酒を酌み交わしたりということであって、漠然とした中で、ただ出会うために何かをするというのは非常にストレスなのです。考え方によっては、ゲイだからこそ、地域や職業や年齢を超えての出会いがあるということにもなるのでしょうけれど。ノンケ(異性愛者)の世界で出会い系サイトといえば、もっぱら性的な接触を目的とするのに対して、ゲイの場合は、本当に友達が欲しいという目的であるとか、ゲイの多くが、ゲイと出会う方法に困っているということが、多少は抵抗感を少なくはしています。

 マイノリティにとって、母集団が大きいということは重要です。100人しか暮らしていない集落には、もしかしたらゲイは住んでいないかも知れませんが、人口100万人の都市には、恋人になれる相手がいるかも知れません。その意味では、僕らにとって、やはり東京は特別な場所なんだと思います。ゲイタウンとして有名な新宿二丁目は、もともと、ゲイにとって非常に限られた出会いの手段のうちの一つで、ゲイバーに通って、そこに出入りするお客と知り合うということが、かつての出会いの限られた方法のうちの一つでした。今は、ネットなど代替する出会いの場が増えたことで、新宿二丁目という街は、かつてのようにゲイが皆足繁く通う場所ではなくなりました。また、ゲイショップにしても然りであり、これもネットという便利な手段が確立しました。いずれも、直接ゲイタウンへ、あるいはゲイショップへ行くという高いハードルが、ネットの普及によってなだらかなスロープになりました。ただ、人目を気にせずゲイカップルがカップルらしく振る舞えるという意味では、新宿二丁目の存在は大きいと思います。新宿に限らず、地方の大都市にもゲイタウンは存在し続けていることを考えると、やはりネットや一般社会だけでは、ゲイを受け入れきれていないのだと思います。

 また話が脱線気味ですが、次回以降、引き続きカミングアウトを語ります。