レイザーラモンHG

http://d.hatena.ne.jp/lelele/20051205/1133731300

世の中にはいろんな人がいるわけです。意図的に不自然な容姿をしていたり、固有の性癖を持っていたり、先天的に障害を持っていたり……。で、いろいろな容姿や性癖、そして障害などを持っていることには、何らかの理由があるわけですよね。そして、その理由を理解するためには、まず「そういう人がいる」ということが、わからなければなりません。隠蔽していたら、いつまでたっても「そういう人がいる」こと自体を知らないまま、日常を過ごしてしまうことになります。

私は、「そういう人がいる」ことを、子どものころから知っているのは、とてもよいことだと思っています。

 あの、「ハードゲイ」はあくまで芸であって、教育的な意図は無いと思います。「そういう人」もいるとは思いますが、それはいろいろなタイプの同性愛者の中のごく一部です。百歩譲って教育的な側面を考えても、ああいった「ハードゲイ」の部分で笑いをとることが、別に実際のハードゲイの人々への理解には繋がらないと思いますけれど。笑っていいものだ、という教育をするつもりなら別ですけれど。
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20051206#p1

でも、この「多様な価値観の提示としてのHG」っていうのには、僕はちょっと違和感があるんですよね。
http://d.hatena.ne.jp/ultravisitor/20051125#p1にも書かれているように、HGさんは、「本当のハードゲイ」ではありません。あくまでも、あれは芸人としてのスタイルなのです。そして、HGさんは、あれを「ハードゲイに対する啓蒙のために」やっているわけではなくて、シンプルに「自分に向いた、面白いネタ」として選択しただけだと思うのです。

 ここに引用させて頂いたように、あれは単なるネタです。品はないと思いますし、子供にみせたくないと思う親も多いでしょう。ただ、子供は下品な笑いって大好きですから、当然すぐに影響されてマネはすると思います。でも、それによって分別のない子供が、下品な人間に育っていくかと言えば、そうはならないと思います。「うんこ!」なんて叫んで喜んでいる子供も、小学校の高学年くらいになって多少分別が付いてくると、次第にそういうこと言わなくなるじゃないですか。うすた京介氏のマンガ「ピューと吹く! ジャガー」の中の記述

誰だって昔はうんこおしっこで笑う純真な子供だったじゃないか…

が印象深いです。全く関係ない話ですけど。
 さて、こうした「同性愛者」であることを笑いのネタにするようなことを、一部の同性愛者は非常に嫌って、中には社会的な活動をしている人もいます。差別的に使われてきたということで、ホモ・レズと言った呼称を嫌う人も多く、かわりに、ゲイ・ビアンと自称することも多いです。
 確かに、僕もゲイであることを自覚した当初は、そういった言葉や、いわゆるホモネタ、のようなお笑いに非常に敏感に反応し、嫌悪していましたが、自分がしっかりと性的指向を自覚するにつれて、全く気にならなくなりました。無論、いまだに「あいつ実はホモなんじゃねえの?」というような発言などには割と敏感ですが、オカマキャラで笑いをとる芸人にも、レイザーラモンHGハードゲイネタにも、別にこれといった感情はありません。まあ、このあたりの感情は、ゲイの中でも相当個人差はあると思います。やはり、テレビのホモネタなどに傷つくというもいれば、ゲイの中でも、ホモネタで笑っていたり、どの芸能人がゲイだとか噂して喜んでいたりする人もいます。前者は後者を敵とみなし、もっと自覚し、差別と闘えというようなことを言いがちです。でも、僕は「そこまでしなくても」という思いが強いようです。差別されるのは嫌だし、もう少しゲイの暮らしやすい社会は求めますし、パートナー法や同性婚も歓迎しますが、男女の結婚となにからなにまで全て一緒ということは不自然であるとも思います。
 マイノリティを笑いとして扱うということは、同性愛者に限らず、別に悪いことをしているわけではない、多数派ではない趣味や特徴を持つ人に対して、よくされていると思いますが、僕は、これが全て差別かっていうとそうでも無い気もするのです。そこに強い悪意が含まれたり、社会的に相当差別されたり、自分の意志で修正不能だったり、という要素が強くなるに従って、いろいろ難しくなってくるのでしょうけれど。
 例えば、アキバ系の人々とか、すぐ笑いのネタにされたり、気持ち悪がられたりしていますが、乱暴に言ってしまえば、本質的には同じことじゃないかとも思うのです。別にアニメが好きでも、部屋に萌えグッズを集めていても、悪いことではないでしょうし。でも、世間的には、そういう趣味は異質に扱い、笑っていいものだと思っているわけですよね。自分と違うから、見た目や行動が不快だ、って言われるわけですよね。
 やはり社会にマジョリティーというのは存在するし、そこにある程度社会に求められる規範ってのはできると思います。価値観は多様だし、何でも受け入れるよとは言っても、街の中をハードゲイスタイルやコスプレの人が普通に濶歩していたら異様だと思います。
 カミングアウトの話にも繋がりますが、「あなたがゲイだろうとなんだろうと、私との関係は何も変わらないよ。理解するよ」といってくれたような相手に、かえって距離ができるというのはそういうところかも知れません。もともとゲイの知り合いがたくさんいるとか、うすうす気付いていながらつきあいがあったということでもない限り、ゲイだという告白には、びっくりしたり、受け入れがたいものを感じるのは自然なことだと思うし、そういった感情をこえて、その上に関係性を築いていければいいと思うのです。最初から全て理解したようなことを言う人は、実は何にも理解していないことがあるのです。関係は何も変わらないと言っておきながら、相変わらず、同性愛者を侮蔑するような発言をして笑っているような人もいます。逆に、当初は理解しきれなくて、一時避けられたり、こちらの不愉快さなど気にせず、理解できないところをいろいろつっこんできて、その上でかえって親しくなるような人もいるのです。
 またちょっとまとまらない文章になりましたが、「カミングアウト」について後日まとめて綴っていくつもりです。