初めてのノンケへのカミングアウト

 さて、話が脱線しまくっていましたが、またカミングアウトの話題に戻ります。最初のカミングアウトを契機に、ゲイの友人をつくろうとして、今まで何も関係のないところに友情や愛情を育もうとしていく一方で、やはり、その時点で親しい友人との関係性に悩むことがありました。僕が、ノンケ(異性愛者)の友人へのカミングアウトをためらったのは、単に告白が怖かったからというだけではありませんでした。
 長くつきあっているうちに、友人を完全に恋愛対象としてみていることが多々あるということに、自分がゲイであることを自覚するに至ってはじめて気づいたのです。うまくいえないのですが、相手からは友情として投げられている思いに対する裏切りのような気もしてしまったのです。性の対象としてみてしまうような、しかし、相手からは同じ思いが帰ってくることは期待できないという関係を、どう扱ってよいのか分からなかったのです。
 それでも、自然に付き合いたいと思う友人に対しての嘘は日に日に苦しくなってきます。年を重ねれば、結婚の話題をふられることも多いし、年中後輩や友人を引き連れて遊んだり、酒を呑んだりする中で、「そろそろ彼女とかつくって、結婚とかしないんですか? 10年後も年中僕ら誘って呑んでるようじゃ、ちょっと引きますよ」と、全く悪気のない発言が出てくれば、ドキッとしてしまうのです。
 下っ端の医者として自由が限りなく制限されている中で、無理やり東京に出てゲイの友人を求めては、希薄な関係に哀しくなったり、狭い世界の中の人間関係のいざこざに鬱陶しくなったりしていて、その一方でノンケの友人たちとも会うとなると、やはり時間も接点を持てる人間も限られてきます。そんな短い時間の中で、嘘で固めたような関係を維持するのに疲れていたというのもあります。
 あるイベントの打ち上げの席で、程よく酒が入った時点で、僕はすでにカミングアウトしてあるゲイの友人と、割ときわどい会話をしていました。そのゲイの友人は、その酒の席にも来ている、僕らの共通の友人のうち複数にすでにカミングアウトをしており、その後もおおむね良好な関係を築いていたのです。ですから、全くそういう知識がない人間へのカミングアウトに比べれば、ハードルは低かったのですが、当時の僕は、まだ、自分の口から「僕はゲイです」とはっきり言える強さは持っていなかったのです。別に悪いことをしているわけでもなく、特定の誰かへの愛の告白でもなく、こういった緊張を強いられるということに、憤りを感じたりもしていました。
 近くに別の友人が寄ってきてもなお、はっきりした単語こそ使わなかったものの、ゲイに関するきわどい話題を繰り広げるのをみて、ゲイの友人は、困ったように「いったいどうしたいんですか」と。不自然なやりとりに、ノンケの友人が「あの、どういうことですか」と会話に割って入って来たので、僕は「お前の思っている通りだよ」とわかったんだかわかんないんだか、なんとも言いようのないことを言ったのでした。このノンケの友人は、なんだかんだとずっとつきあいの続いている大切な友人であり、僕にとっては正直常に一番好きな恋愛対象でもあり、カミングアウトするならば、もっときちんとしたかったのですが、これが精一杯だったのです。これでも、僕にとっては相当大きな一歩だったのです。確か、医者3年目のことでした。
 これをきっかけに、カミングアウト・ブームとでもいうべき時期がやってくるのですが、また、後日綴ります。