HG、追記。

http://d.hatena.ne.jp/deltoideus/20051206#p1
http://d.hatena.ne.jp/deltoideus/20051223#p1
↑このあたりにつらつら書いたことの追記。下にURLを挙げたテキストを読んで、いろいろ思うところがありました。
http://queermusicexperience.blog10.fc2.com/blog-entry-58.html

藤井隆は、ゲイという「性的指向そのもの」を笑いのネタにしたことはない。

しかし、レイザーラモンHGは、本当はストレートでありながら、「誰々のお相手をしたい」と語り、「性的指向そのもの」を笑いのネタにして、セクシャルな要素を前に出した。

そのことによって、レイザーラモンHGは、
「ストレートの芸人であっても、ゲイのセックスに関する話題で笑いをとるのはOKなのだ、許されるのだ」
という前例を作ってしまった。

 以前、僕は、レイザーラモンHGが行うような芸に対して、それほど違和感は無いというように書いたけれど、強いて違和感を挙げるならば、このエントリの記述のようなことなんだと思います。ゲイに限らず、「多数派ではないもの」を笑いにするということが非常に多く行われています。僕自身は、そのすべてを「差別だ!」と大騒ぎすることは無いとは思うのですが、上品な笑いでは無いし、差別と感じる人が多いのも事実です。

誰かが痛みの声を上げない限り、それらの人々は、どこまでもゲイというセクシャリティの「歪曲」をエスカレートさせ、それをさらに拡大させていく恐れがある、ということではないのか?

問題の核心は、「黒ひゲイ危機一発」という商品1つだけにあるのではない。

個人的には、「黒ひゲイ危機一髪」という商品そのものが、同性愛者差別を植え付ける劣悪なものであるとは思わない。

ただ、どこかで誰かがこうした流行に反対の声を挙げなければ、レイザーラモンHGが確立した芸風は、HG本人のコントロールを離れて、どんどん差別的な方向にエスカレートしていく可能性があるように思うのだ。

 非常によくわかります。STN21(セクシュアルマイノリティ教職員ネットワーク)という団体の行為が、少々行き過ぎているのではないか、という思いは変わりませんが、差別的だと感じたことに対して、「声をあげる」ということは、必要なことだと思います。STN21が正しいのかどうか僕にはわかりませんし、僕の感情とは異なった方向を向いていることは確かですけれど。ちびくろ・さんぼにしても、カルピスのマークにしても、あれが無くなったり、復活したりしたこと、どれが正しいのかということはわかりません。

正しいか間違っているかではないんです。

今回のゲーム発売を差別と感じた人たちがいるのは事実。

基準もないのに、それを「間違っている」と断じることは誰にもできません。

 難しいですね。
 ちなみに、もうひとつ参考URLをあげておきます。
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50284231.html

ホモ教師団体が黒ヒゲイ危機一髪に抗議 「在日朝鮮人危機一髪でも発売するのか」

ま、それでも今回の抗議がおかしいことには違いないけど。
「黒ヒゲイ危機一髪」はゲイのゲームではなくて、ハードゲイのゲームだろ。ハードゲイ本人に「ホモのイメージを悪くする」と抗議するなら理解できるけど、トミーに抗議するのは筋違い。

ハードゲイはむしろ、ゲイの敷居を低くしただろ。
話術の巧みなゲイバーの人がよくテレビに出てるが、ああいう人にはむしろ好感を持つ。オープンに明るくやるのが一番。
変に権利を振りかざして、抗議ネタにする方がゲイに対する印象を悪くしてる。

 僕もSTN21の反応が過剰だと思うし、そのやり方に積極的に賛同する立場ではないのは、以前書いた通りです。ただ、このテキストのような、非常に差別的な記述はいただけません。まあ、タイトルの付け方からして、非常に感じが悪いし、この方がゲイに理解を示しているとは到底感じられないのですけれど。
 レイザーラモンHGは、多種多様なゲイの中で、ハードゲイという人々を模した芸をしているものですので、ハードゲイ個人に抗議云々という主張もなんだかよくわかりません。また、僕も以前述べているように、レイザーラモンHGはゲイでもなんでもないし、あの芸も別にゲイの特徴では無く、彼の出現がゲイの敷居を低くしたなんてことはないと思いますし。
 あと、前回書こうと思ってうまく書けなかったことを書いておきます。結局、ゲイの中でもいろんな考えがあるわけですが、社会に対して声をあげるのは、今回のSTN21のように、やや極端かなと思えるような方法になってしまいます。これは当然といえば当然で、そこまで社会に対して強い不満が無ければ声をあげないからです。ただ、こうして強い声をあげるのがゲイの総意ということでもないので、強い主張ではないゲイの本音というのが、もう少し社会に届くといいなと思っているのです。
 思っていることが漠然としすぎていて、やっぱりうまく書けませんでした。