振られない、けれど

 ゲイの多くは、ネット上で使うようなハンドルネームを、そのままゲイのコミュニケーションの中で使い続けることが多いようです。出会いの場としてネットを使うことが多いということが第一にあります。また、完全にカミングアウトしていない状況で、実生活の知人にバレないようにするための防衛線としての役割も果たしています。
 他の人がどうなのかよくわからないのですけれど、僕はハンドルネームのようなものにしても、それが僕という個人を表す以上、結局なんらかの由来をもとめてしまいます。そうなると、結果として、もともとのニックネームであるとか、本名の一部だとか、そういうことに落ち着いてきます。
 僕が知り合ったあるゲイは、自分の大好きなノンケ(異性愛者)の名前を、自分のハンドルネームとして使っていました。彼が言うには、そのノンケはとても大切な存在で、自分が好意を持っていることも伝えてあるのだと言います。相手はそれを受け止めてはいますが、ノンケですから、恋愛は始まりません。結果として、ゲイからの一方通行の恋愛は、振られることなく、しかし、成就することもなくなります。相手からは、この上ない友情がかえされます。それも愛ですし、好かれているということはとても嬉しいのです。だけど、それ故に次の恋愛にうつれなくなります。
 そのゲイの友人は、大好きなノンケから結婚することをきかされたとき、分かってはいたことだけれど強いショックを受けたということです。しかし、ある意味でそれが一つの区切りとなり、ようやく彼は、自分のハンドルネームを、そのノンケの名前から、自分の本名の一部に変えました。
 このあたりの心情が、僕にはとてもよくわかります。
 僕も結局、一番大好きな相手はノンケなんです。そして、その好意は拒絶はされません。友情という形で強く返され続けています。それはそれとして、恋愛は別に求めなくてはいけないとは思いながら、どうもそこから抜け出せないんですよね。