パレードとか

 しかしまあ、相変わらず「研究室」という名前の部屋でコーヒー呑んだり、ネットしたり、アイス食べたりしているという腐れ大学院生活である。まあ、一応、外来とか検査とか外勤はかなりの数こなしているので、一応労働しているという自負はあるのだけれど、いかんせん本業(今は、研究)がおろそかなので身の置き場がない。身の置き場がないから、早々に研究室を後にしてビール呑むっていうのもどうしようもないな。

 8/12(土)にTLGP2006(東京レズビアンゲイパレード)に参加するために、巧妙にルーチンの週末バイトをずらし(さらにそのバイトの日に別のお誘いを受けたので、力業でもう一週ずらし)ておいた。ボランティアスタッフの集合時刻7:00に間に合わせるには、当日発だと厳しいので、前日入りも考えたのだけれど、金曜日に院生中心のビアガーデン呑みがあったので断念。断ってもよかったのだけれど、まあ、今いる環境も大切だしね。教室全体の呑み会のような堅苦しさはないので、それはそれで楽しいし。

 パレード参加は去年に引き続き2度目。パレードが中断されていた時期に、単独で行われていたレインボー祭りに初めて参加したのは確か3年前。ゲイの世界に接点を持ったのは、たかだかそんなものなのだけれど、割合濃密な時間を過ごしてきたような気もする。ちなみに、普段こことは別にやっていたサイトの顔、リアル生活の顔、ゲイとしての顔という3つを、それぞれ全てにオープンにはしないでいるのに、それぞれの要素を併せ持ったままミクシィのアカウントを維持していたのに疲れ、とりあえず、ミクシィ内でのカムアウトを行ったのは、去年のパレードの後だった。いろいろ難しく考えすぎなのかも知れないけれど。幸い、今までカムアウトに失敗したことは一度も無いし。その後、この「デルトイデウス」を立ち上げることにもなったのだった。

 去年は一般参加。幸いにもそれまでに仲良くなったゲイの友人たちと参加できた。ただ、職場の異動や趣味の音楽などを通して、ノンケ社会では、普通に仕事しながら交友関係を広げていくことができていたのに対して、ゲイの知り合いに関しては頭打ち。ただ単に「出会う」ことだけを目的としたような中で、関係を維持するのも僕には向いていない。今回、救護スタッフとしてパレードに関わらせてもらうことで、自然な形で初めての人々に出会えたと思う。また、今回は救護という性質上、その多くが医療職で同性愛者という、自分とよくにた状況であるということが、無理しないで交流することを助けたとも思う。しばらく、既に知り合ったゲイの友人の友人、といった広がり方しか経験していなかったので、久々に新しいところに飛び込んでいったのも新鮮だった。僕は勝手に自分の知っているごく狭い範囲だけをゲイの世界と捉えて、その閉塞感を嘆いていたようなところがあると思う。恋人がいないのも、世界の狭さのせいにしていた、と思う。

 結果として、救護テントでは、たいして働きもせず、みなさんに迷惑をかけたことと思いますが、今年一日経験してみて、おおむね流れは分かったので、是非来年も参加させて頂き、今年よりは役立つようになりたいと思っています。

 山手線も止めた豪雨で誰もが中止と思ったパレード。豪雨の中果敢に踊る女性に盛り上がる救護テント。催行を決める時刻の少し前に嘘のようにあがった雨。その一つ一つが、非常に印象的だった。

 去年はサングラスをかけて「撮影禁止」フロートを歩いていた僕が、今年は、隊列スタッフとして、TBSのカメラが追っかけて来る中、弟(カムアウトはしていない)の職場の近くなんかも通りながら、パレードを誘導して渋谷を歩いている。挙げ句の果てに、公園帰着後、別のスタッフの言われるがままに動いていたら、横断幕を持ってステージ上にあがり、そのままファイナルイベントへ。当然写真も相当数撮られているのだけれど、まあ、なるようになるだろう。これからの生き方とか、漠然といろんなことを考えているのだけれど、僕はとにかく、自分で縛っているいろんなものから、もう少し自由になろうと思っている。

 救護スタッフには酒呑みも多く、日頃どちらかというと、その呑みっぷりを批判されがちな僕としては、非常に嬉しく、そして楽しかった。打ち上げも、ホント、心の底から楽しかった。会話はこれ以上もないくらい品が無かったような気もするけれど。隣のノンケ男子が引きつった顔をしてこちらをみていたし。その流れで、二丁目のファイナルパーティーにもちょっと出て、西新宿泊。

 翌日は、あるマイミクとはじめて会う。もともと、僕が彼のブログを、自分のはてなアンテナに入れてちょくちょく読んでいたのだけれど、その解析をたどり、彼からミクシィでメッセージをもらったのをきっかけに、マイミクになったという不思議な繋がり。彼のブログを読み始めたのは、別のマイミクがどこかで紹介していたのがきっかけだったと思う。

 なんとなく自覚してるんだけれど、僕のテキストって、少なくない人が壁を感じるのではないかと思ってる。その昔某師は「マジメな苦学生のようなイメージだった」と言った。メールにしても、必要な用件以外のことをやりとりする習慣がなくて、絵文字も使えないしで、非常に素っ気なくなる。ある程度仲の良い友人にも、よく「メールが冷たい」と言われるし、この日あったマイミクには「あんまり他人に興味無さそうですよね」と非常に的確な言葉を頂いた。

 なんというか、僕、屁理屈並べるのに言葉を使うのはそんなに苦手じゃないんだけれど、感情表現が極端に苦手。伝えたい感情については、言葉を介さずに、ダイレクトに伝える方法が欲しい。まだ直接会って話す分には、単なる「言葉」ということ以外に、そこに漂う雰囲気とか、匂いとか、体温とか、身振りとか、表情とか、いろいろその感情を伝える方法があるのに、メールだと難しい。手書きという情報まで奪った、単なる電子情報。そういう意味では、メールよりは電話のほうがいいかな。いずれにしても、それで用件以外のことを伝えるのは苦手。

 あと、結局自分が傷つくのが怖いのと、だいぶ長い間、セクシャリティなどの問題も含めて、いろんなことを偽り続けていたということが、言葉の端々、行動の端々に「壁」としてあらわれているんだとは思う。

 他人に興味が無ければ、そもそもセクシャリティーについて悩んだりもしないし、「交流」に主眼をおいたミクシィだってやってはいない。そのくせ「みんな愛してるぜ」っていう部分が、きっと僕からは全く漂わないんだよなあ。

 で、こうやってまた、小難しく考えすぎて、結局長文を書いてるのな。普段から面倒くさいことばっかり言っているわけじゃないと思うんだけど。そうでもないか。

 とにかくみなさん、今後ともよろしくお願いします。