近況など

 なかなか長い文章にまとめるようなはっきりした「思い」というようなものもなく、漠然とした焦燥とか不安の中に生きていました。なんていうのか、思い悩む時期なのかも知れません。

 少し前に大学院を修了し、博士号をとりました。現在は市中病院で働いています。ただ、最近はなんのために働いているんだろうということばかり考えていて、いまひとつ気持ちがすっきりしません。僕はよく、他人から自由に生きているとか、自信に溢れているというようなことを言われるのですが、自信に満ち満ちて生きていた記憶というのはあんまりなくて、むしろ、自信が無いからこそ自分の主義主張をしっかりと言葉にして描出してきたというかなんというか。心の危うさというのが思春期からひとつも進歩していないなと思いながら、日々を生きております。

 外科医という業の深い職業。他人様の身体に合法的に傷を付けることのできる権利は、同時に大きな義務を生じるのだということは常に自覚しながら生きているのだけれども、それでもやはり「24時間365日医者であれ」というスタイルは強者の弁であって、スーパーマン医師に基準点をおいてしまうことは、医療制度の維持の上でやはり無理があるのではないかと思っています。

 いろんなもやもやを抱えながら、いろんな学会に発表しに言ったり、専門医試験を受けにいったりはしていました。昨年は飛行機で行くような学会が無かったのが一転、今年は比較的遠いところが多かったです。学会と夏休みくらいしか遠出もできないので、学会での知識の更新はもちろんのことではあるのだけれども、非日常の空気を浴びて気分転換するという意味でも、僕にとってそれは重要なことなのです。

 そうして傍目にはアクティブに活動しているようでありながら、内面では事あるたびに、年をとった、ということを言い訳にして生きている気がするのです。とかくいろんなことが億劫になりつつあります。

 先日、都内にマンションを購入しました。現在の職場は東京ではないので、二重生活ということになります。変化のない、季節感のない僕の生活の中で、突如マンションを買うことになったというのは一つの彩りではありました。一緒に住む予定の家族も無く、相続をして譲るべく子孫を残す可能性が限りなくゼロに近い状態で、しかもすぐには職場を移らないというのに、何千万円もの借金を背負って家を買うというギャンブルを行う必要があったのかどうかは今でも正直よくわからないし、家を買うということがこんなにも面倒くさいものだということを知っていたら思い切れなかったかも知れません。

 今回のマンション購入には、一つには親孝行としての意味があります。親がそこに住むということではないのですが、子どもに家を持って(できれば結婚もして、子どもを持って)落ち着いて欲しいという願望がずっとあったのだと思います。両親の世代の経済状況、不動産を持つことの意味と、現在のそれは全く違うし、(親には伝えていませんが)ゲイとして生き、恐らく子どもを持つことがない僕にとって、親が思い描いている「子どもが家を持つこと」とは様々なずれがあることは承知しているつもりです。でもまあ、とにかく親としては僕がマンションを購入したことに大きな喜びを感じているようなので、まあ、それだけでも良かったのではないかと思っています。

 もう一つには、まあ、今回のマンション購入がなければ、僕は結局一生東京に出ていくことが無いまま終わったのではないかという思いがあります。現時点で出ていっていないので、購入したところで東京に出ないまま終わるという可能性も無きにしもあらずですが。今までの状況よりは、東京に出ていく動機付けがしやすくはなりました。

 僕に医学部進学を勧めてくれた高校時代の担任教師が、「チャンスがあればすぐにでかけていけるように、根をはらずに身軽にいなくちゃいけないのよ」なんて言っていたのが深く印象に残っていて、実際に身近なところで、その能力とチャンスを最大限に生かして国内外あちこちに飛んで行った人々を何人も知っています。なのに逆に根を張るように動くのも妙な話なのですが、今いる場所に根をはるのではなくて、出ていきたいと考えている方向に根をはろうとしているというのが、まあ前向きといえば前向きなんでしょうか。

 僕がゲイであるということを知らない方々は、事あるたびに僕が口にする東京志向に違和感を感じていたことと思います(後にカミングアウトすることでその思いを納得して頂けることが非常に多かったですが)。その違和感はまあ当然といえば当然であって、僕自身もしっくりいっていない志向であって、ただ単に性的指向にひっぱられた結果の東京志向なのです。マイノリティはやはり田舎ではいろいろ生きにくいです。終の棲家として今の住所を選ぶつもりは一貫して無かったし、だからもし家を買うなら都心と決めていたのです。

 しかしながら、冒頭に述べたように、年をとったということをいろんなことの言い訳にして、とにかくいろんなことを億劫に感じながら、閉じた世界で決まったことを繰り返すだけの生活で完結してしまっているというのは、別に僕が田舎に住んでいて時間の自由がききにくい医者という生活をしているということだけに原因があるのではなくて、むしろただ単に自分の本質的な性格的問題だという気もします。

 誰かがtwitterで「東京には空が無いが、田舎には選択肢が無い」と呟いていました。田舎の価値観にどっぷりとつかってしまえばそんなに楽なことはないのでしょうが、その価値観かははみ出してしまったマイノリティにとって、その狭く閉じた世界は監獄のようにきついのです。

 医局を辞めて東京で働くという選択肢がいつでも実現可能にセッティングされたことで、そちらについてはむしろ慌てなくてもよいとも思えてきました。今いる病院は、まあ、なんだかんだいって今までにいたどの病院よりも勤務時間は短く、当直もなく、休みも比較的取りやすいのだけれども、ただ、外科の小さな所帯の、その狭さにそろそろ限界という気はしています。身も蓋もない言い方をすれば、嫌いな人と働くのはやっぱり嫌だということです。まあ、甘えるなといわれればそれまでだし、僕自身の至らなさもあるのかも知れませんけれども。

 僕は大学院である臓器チームに配属されました。真面目な大学院生とは言い難かったのですが、それでもチームの一員ということはずっと自覚していて、今もなんだかんだいいながら、大学の臨床研修登録医という形で、医局員という無形の所属だけではなく、公的な身分として籍をおいていて、週に一回のチームカンファレンスにも参加していますし、先述のように、大学の症例で学会発表も頻回に行っています。

 これから先、どうやって生きていくのか。とりあえずローンを払うという重荷を背負ったので、一応対価のもらえる労働は続けていかなくてはならなくなりました。まあ、いざとなればなんらかの形でマンション処分してしまえばいいだけの話です。目減りはするでしょうけれども、売れないという立地でも無いので。

 どこに住んでどんな労働を続けるのか。なんというか、現住地に縛り付けられる必要は基本的に全く無いので、あとは大学と関わり続けるか否かという話になってきます。もっと突き詰めれば、大学で専門診療に関わるのか、すっぱり医局を辞めて東京へ移って、労働は労働として割り切るのか、その二択なのかも知れないと思い始めています。

 大学は相変わらず働きやすい場所では無くて、地方の大学の外科にたくさんの新人が入ってくる見込みも無く、あんまり明るい話題は無いのですが、半端に大学を意識しながら、関連病院に無為にぶら下がっているのもなんだかよくわからなくなってしまったのです。特に今の勤務先は症例数とか立ち位置とかいろいろ一線とは言い難い微妙さがあるので。

 まあ、実際来年度どこで働くかはまだまだ不透明ですし、来年度の医局の人事には大きな課題がいくつもあって、なんとなくギリギリまで決定しなそうなのですが、大学へ戻る可能性が低くはないと思っています。それでやっぱりダメだと思えば、今度は関連病院へ出るのではなくて、思い切って医局も現住地も脱出してしまおうと。

 そんなことを漠然と考えているのです。