近況

 先日、当直明けに見舞った病室で、母を見送りました。高校を卒業して就職、その後ほどなくして結婚し、最初の子が僕ですので、まだまだ若く、年金を受け取ることのできる年齢に達する前にこの世を去ってしまいました。前回までに綴ったように、ある意味主治医よりも先回りして、「治療がうまくいけばそれで良し、しかしそうでない可能性も考えたときに、いよいよの時には何もできないのだから、今から考えて悔いのない形で身の回りの整理をしておいた方がいいと思うよ」と伝えていました。

 僕が普段診療している患者さんの多くは癌であり、中には非常に厳しい経過が予想される方も少なくありません。ですから、かなりの進行癌であったり、再発の治療に入るような方には、治療をしないという選択肢も含め、もちろん良い方向へ向かうことを祈っているけれども、そうでない時のことをしっかり考えておいたほうがよいというお話をなるべくするようにしていました。もちろん相手によりますから、なかなかそういうお話が難しい方もいますし、話し方には細心の注意を払い、また、その後もしっかりとフォローアップをする覚悟を持ってお話をさせて頂いていました。それと同じ事を母にしたわけです。

 やややっかいな血液腫瘍の再発に対する治療を昨春から開始していたのですが、あまり効果の感じられないまま時が過ぎ、例年の人事希望調査が行われた夏頃には、僕は大学医局を辞めるということを迷いなく考えていて、母にもその気持ちを伝えました。母は、自分のために僕が大学を離れてしまうということを非常に気に病んでいました。しかし、僕が医局を辞めるということを考えたのは、必ずしも母の病気のことだけではないと思っていて、それはひとつのきっかけに過ぎないのだ、ということを母にも大学にも伝え、今に至っています。

 いろいろと問題の多い父にかわって、母は実家におけるほぼ全てのことを一手に引き受けてくれていました。そうしたことを、今後は僕が引き継いでいくこととなり、年度替わりの頃は、ずっとバタバタしていました。ずっとパート勤務だった母が何年か前に立ち上げた小さな会社を引き継ぐことにもなり、常勤としての医師の仕事は中断しています。今後落ち着いたらまた再開を考えていますが、もろもろの整理がつくまでは、一時お休みさせて頂く所存です。

 これもまた、僕らしい選択だと思いますし、特に迷いもない決定でした。これからのことは、まあ、ゆっくりと考えてみます。しかし、ゲイにとって肉親が減っていくというのはこれ以上ない恐怖ですね。真に困ったことを相談できる人を失ってしまい、いろんな問題をかかえる親類が残った今、むしろ僕は相談を受ける立場になったようです。今まで長く一人で暮らし、血縁のことをあまり考えずにすんだのは母のおかげであり、そうした意味では今後少し大変かも知れません。

 まあ、なるようになるでしょう。