あけましておめでとうございます

 アフリカ某国で年を越しました。なんやかんやあって、東京での仕事を終え、また海外での生活が始まっています。新型コロナウイルス感染症の影響で国境を越えることがいろいろ面倒なことになっていて、実際、アフリカにやってくるのも予定より遅れ、ロックダウンの中限定的に飛んでいた臨時便に滑り込んでなんとか辿り着いた次第です。
 好きな時に移動して、好きな時に人と会うということがこんなにも長い間制限されることはあまり考えたことがありませんでした。日本で医師をしていた時は、そのブラック労働に縛られたせいで、人と会う約束ができないのがストレスで、果たして自分はこの仕事を一生続けることができるのかと思い悩んだものですが、今はまた別の理由で、好きな人に会いに行くことが難しくなっています。
 テロの脅威が渦巻く某国での勤務を終え、アジアでの勤務中に、出勤途中に毎日近くを通っていた有名な仏教施設、いつでも行けると思っていたら中々行かなかったのですが、職場の先輩に、「平和だと思っていても情勢なんていつ変わるのかわからないんだから、本当に行きたいと思っているんなら、行きたいうちにすぐに行っておいたほうがいい」なんて言われたのを今になって繰り返し思い出します。
 幸い元気にやっています。また好きな時に好きな人達と集まってワイワイできる日を楽しみに、今は今できることに向かい合おうと思います。

赤裸々

 ごぶさたしております。海外数ヶ国で4年ほど働いた後、なんやかんやで今はまた一時的に日本におります。
 僕がゲイであることの自覚をきちんと整理することができたのは、二十代後半とかなり遅かったのですが、そのきっかけの一つとして

ボクの彼氏はどこにいる? (講談社文庫)

ボクの彼氏はどこにいる? (講談社文庫)

この本との出会いがありました。誇張されたものではない、等身大の一人のゲイの姿が綴られており、そうした存在が自分以外にもいるということを教えてくれた、とても貴重な経験でした。
 さて、最近、文春オンラインの特集を通じて
bunshun.jp
僕が夫に出会うまで

僕が夫に出会うまで

この本に出会いました。本書には実に赤裸々に幼少期からの出来事が綴られており、社会からの無自覚な攻撃や、同性の友達に抱いてしまった恋への葛藤など、自分にも思い当たるような経験に一つ一つ強い共感を感じるものでした。もしかすると善意からかも知れないけれど、「多数派」の常識に引っ張られすぎるあまり、それがかえってより残酷な攻撃となっていることってとても多くて、今でこそ躱す方法も覚えたけれど、僕自身もかつて相当に思い悩んだものです。本にも綴られているような、まだ世界の狭い時期に、家庭とか学校とか逃げ場のないところでのそういった出来事は心に影を落とすことになります。少なくとも教育や医療の現場にいる人達にはこの世の中が「多数派」だけで構成されているわけではないということをもっと想像してもらいたいと思っています。

家族

 たいへんご無沙汰しております。 

 少し前には想定もしなかったような人生を送っています。

 全てのきっかけは肉親の死に帰結するような、そうでもないような。とにかく大学医局という枠組みの外に出たことで、それまで予定調和的に歩んでいた生活からは抜け出すことになり、ある意味での自由の中で、海外で働くことを選んだのです。しかし、任国の治安の悪化から、急遽退避することとなり、しばし先の見通しがたたないまま流浪の身となっていたものの、ようやく新しい任国に落ち着き、今に至っております。現在はアジア某国でそれなりに忙しい日々を送っています。

 仕事の場が日本の外へ移り、たまたまのめぐり合わせでそこを退避することになったり、今後もいろいろな国へ異動していく見込みであることを考えると、それはそれで変化のある生活であるとは言えます。しかしながら、その一方で、SNSなどを通して伝わってくる友人たちの、「人生の季節の移ろい」を見るにつけ、また改めてなんとも言えない寂しさと焦りというものが沸き上がってきて、頼るべき「家族」不在の将来に不安を感じはじめてもいるのです。

 血縁ということにはそれほどこだわりませんが、子どもの成長を見守ることができるような生活がしたいという気持ちが、周期的に沸き上がってくるのですが、容赦なく流れる時と刻まれる歳に、焦りのようなものが年々大きくなっています。もし本気で望めば、異性の配偶者を得ることができる、というタイムリミットが間近のような、もう過ぎてしまったような。

 まあ、自分の気持ちに嘘をついたり、相手に嘘をついてまで異性と結婚ということを望まないのですが、どうにかして、家庭と子どもを持つ生活を築けないか、とぐるぐる考えています。「結婚なんてするつもりはない」と言っていた友人や後輩たちも、気付けばあっさりと落ち着く所に落ち着いて、SNSに幸福な家庭の日常をアップしていたりするんですよね。

 数日前に一時帰国しました。日本の友人たちと年を越した後、少しだけ実家に帰ろうと思います。皆様もどうぞよいお年を。

ごぶさたしております

 メルマガはちょろちょろと書いていましたが、ここは本当に久しく放置状態になってしまいました…。なんかいろんなタイミングが僕の背中を押してくれた結果、なんやかんやで日本を飛び出して、今は遠い国で働いています。いろんな情勢のせいで、予定より早く任地を離れることになり、今はまた別の国へ異動する準備をしております。
 また何かしらご報告することがあればここに書きます。とりあえずは生存報告に代えて。

近況

 先日、当直明けに見舞った病室で、母を見送りました。高校を卒業して就職、その後ほどなくして結婚し、最初の子が僕ですので、まだまだ若く、年金を受け取ることのできる年齢に達する前にこの世を去ってしまいました。前回までに綴ったように、ある意味主治医よりも先回りして、「治療がうまくいけばそれで良し、しかしそうでない可能性も考えたときに、いよいよの時には何もできないのだから、今から考えて悔いのない形で身の回りの整理をしておいた方がいいと思うよ」と伝えていました。

 僕が普段診療している患者さんの多くは癌であり、中には非常に厳しい経過が予想される方も少なくありません。ですから、かなりの進行癌であったり、再発の治療に入るような方には、治療をしないという選択肢も含め、もちろん良い方向へ向かうことを祈っているけれども、そうでない時のことをしっかり考えておいたほうがよいというお話をなるべくするようにしていました。もちろん相手によりますから、なかなかそういうお話が難しい方もいますし、話し方には細心の注意を払い、また、その後もしっかりとフォローアップをする覚悟を持ってお話をさせて頂いていました。それと同じ事を母にしたわけです。

 やややっかいな血液腫瘍の再発に対する治療を昨春から開始していたのですが、あまり効果の感じられないまま時が過ぎ、例年の人事希望調査が行われた夏頃には、僕は大学医局を辞めるということを迷いなく考えていて、母にもその気持ちを伝えました。母は、自分のために僕が大学を離れてしまうということを非常に気に病んでいました。しかし、僕が医局を辞めるということを考えたのは、必ずしも母の病気のことだけではないと思っていて、それはひとつのきっかけに過ぎないのだ、ということを母にも大学にも伝え、今に至っています。

 いろいろと問題の多い父にかわって、母は実家におけるほぼ全てのことを一手に引き受けてくれていました。そうしたことを、今後は僕が引き継いでいくこととなり、年度替わりの頃は、ずっとバタバタしていました。ずっとパート勤務だった母が何年か前に立ち上げた小さな会社を引き継ぐことにもなり、常勤としての医師の仕事は中断しています。今後落ち着いたらまた再開を考えていますが、もろもろの整理がつくまでは、一時お休みさせて頂く所存です。

 これもまた、僕らしい選択だと思いますし、特に迷いもない決定でした。これからのことは、まあ、ゆっくりと考えてみます。しかし、ゲイにとって肉親が減っていくというのはこれ以上ない恐怖ですね。真に困ったことを相談できる人を失ってしまい、いろんな問題をかかえる親類が残った今、むしろ僕は相談を受ける立場になったようです。今まで長く一人で暮らし、血縁のことをあまり考えずにすんだのは母のおかげであり、そうした意味では今後少し大変かも知れません。

 まあ、なるようになるでしょう。

近況

 母親がとある難しい病気の再発で闘病中。厳しいかも知れない。患者さんへ接する時のスタンスと同様、再発の治療がはじまった時点で、母には最悪の結果も考えた上で、自分が何がしたいのかを考えておくようにとしつこいくらいに伝えていた。母はずっとパートで働いていたのだけれども、様々な人々の支えがあって数年前に会社を起こした。その会社の整理ということなどが常に気にかかっている様子だったので、特に念入りに伝えた。ある意味残酷で、しかしながら大切な告知だと思う。何も言わずにいたら「治療が全部すんでから考えたい」という母は、何一つ自分の望む整理がつけられずに今に至ったに違いない。

 もちろん治療がうまくいくことを望んでいる。まあ、後腐れなく整理した上で、うまくいったらあとは好きに生きればいいよ、という前提で。恥ずかしながら、僕の実家周辺にはいろんな問題を抱えて自立した生活がままならない家がいくつかあって、我が家が、というか実質的には母が面倒をみてきた。僕は金銭的な援助だけで、実質的に実家や親戚を支え動かすことは、全て母に任せてきた。今まではそれでなんとかなっていたけれども、いよいよ僕がいろんなことを背負わなければならない。そういう意味では、母親にかなりの負担をかけてきたのかも知れない。恥ずかしながら。

 母のことはそれでも一つのきっかけに過ぎない。現在のような生活のすべてをほぼ病院に捕まっているような生活をいつまでも続けることは体力的にも精神的にも、僕の目指すべきところとしても正解ではないと信じていて、そういうこと全てをひっくるめて、大学医局には正式に人事から外してもらいたいという希望を伝えた。事情が事情ということもあり、とくに揉めることもなく、暖かく配慮して頂いている。医局の、というか日本の医療職全体の前時代的な勤務体制には不満はたくさんあるけれども、基本的には僕をそれなりにまっとうに育てて頂いたという恩義は十分に感じている。

 僕がその話題に触れられることを嫌がり、はっきりと嫌だと伝えていたこともあり、一応避けてくれていた「結婚」ということを、こういう病状になった母が、しきりに持ちだしてくるようになった。ゲイであるということは伝えれば理解はしてくれるような気もするけれども、敢えて血縁者に伝えなくてもよいと思っている。悩ましいところである。この一点においては、嘘のやり取りを続けるのが心苦しくもあるけれども、理解し受け入れるまでに病気以外の心配事を抱えさせてしまうのが嫌なので、今のところはずっと胸にかかえようと思っている。

 一応年度変わりで人事を外れるのだけれども、病状の進行によっては春以降というよりもその前の時期が重要かもしれない。いずれにせよ、春からは少し考える時間や休む時間もいただこうと思っている。必ずしもすぐに働かないかもしれない。少し状況をみつめて対応してみようと思う。

近況など

 なかなか長い文章にまとめるようなはっきりした「思い」というようなものもなく、漠然とした焦燥とか不安の中に生きていました。なんていうのか、思い悩む時期なのかも知れません。

 少し前に大学院を修了し、博士号をとりました。現在は市中病院で働いています。ただ、最近はなんのために働いているんだろうということばかり考えていて、いまひとつ気持ちがすっきりしません。僕はよく、他人から自由に生きているとか、自信に溢れているというようなことを言われるのですが、自信に満ち満ちて生きていた記憶というのはあんまりなくて、むしろ、自信が無いからこそ自分の主義主張をしっかりと言葉にして描出してきたというかなんというか。心の危うさというのが思春期からひとつも進歩していないなと思いながら、日々を生きております。

 外科医という業の深い職業。他人様の身体に合法的に傷を付けることのできる権利は、同時に大きな義務を生じるのだということは常に自覚しながら生きているのだけれども、それでもやはり「24時間365日医者であれ」というスタイルは強者の弁であって、スーパーマン医師に基準点をおいてしまうことは、医療制度の維持の上でやはり無理があるのではないかと思っています。

 いろんなもやもやを抱えながら、いろんな学会に発表しに言ったり、専門医試験を受けにいったりはしていました。昨年は飛行機で行くような学会が無かったのが一転、今年は比較的遠いところが多かったです。学会と夏休みくらいしか遠出もできないので、学会での知識の更新はもちろんのことではあるのだけれども、非日常の空気を浴びて気分転換するという意味でも、僕にとってそれは重要なことなのです。

 そうして傍目にはアクティブに活動しているようでありながら、内面では事あるたびに、年をとった、ということを言い訳にして生きている気がするのです。とかくいろんなことが億劫になりつつあります。

 先日、都内にマンションを購入しました。現在の職場は東京ではないので、二重生活ということになります。変化のない、季節感のない僕の生活の中で、突如マンションを買うことになったというのは一つの彩りではありました。一緒に住む予定の家族も無く、相続をして譲るべく子孫を残す可能性が限りなくゼロに近い状態で、しかもすぐには職場を移らないというのに、何千万円もの借金を背負って家を買うというギャンブルを行う必要があったのかどうかは今でも正直よくわからないし、家を買うということがこんなにも面倒くさいものだということを知っていたら思い切れなかったかも知れません。

 今回のマンション購入には、一つには親孝行としての意味があります。親がそこに住むということではないのですが、子どもに家を持って(できれば結婚もして、子どもを持って)落ち着いて欲しいという願望がずっとあったのだと思います。両親の世代の経済状況、不動産を持つことの意味と、現在のそれは全く違うし、(親には伝えていませんが)ゲイとして生き、恐らく子どもを持つことがない僕にとって、親が思い描いている「子どもが家を持つこと」とは様々なずれがあることは承知しているつもりです。でもまあ、とにかく親としては僕がマンションを購入したことに大きな喜びを感じているようなので、まあ、それだけでも良かったのではないかと思っています。

 もう一つには、まあ、今回のマンション購入がなければ、僕は結局一生東京に出ていくことが無いまま終わったのではないかという思いがあります。現時点で出ていっていないので、購入したところで東京に出ないまま終わるという可能性も無きにしもあらずですが。今までの状況よりは、東京に出ていく動機付けがしやすくはなりました。

 僕に医学部進学を勧めてくれた高校時代の担任教師が、「チャンスがあればすぐにでかけていけるように、根をはらずに身軽にいなくちゃいけないのよ」なんて言っていたのが深く印象に残っていて、実際に身近なところで、その能力とチャンスを最大限に生かして国内外あちこちに飛んで行った人々を何人も知っています。なのに逆に根を張るように動くのも妙な話なのですが、今いる場所に根をはるのではなくて、出ていきたいと考えている方向に根をはろうとしているというのが、まあ前向きといえば前向きなんでしょうか。

 僕がゲイであるということを知らない方々は、事あるたびに僕が口にする東京志向に違和感を感じていたことと思います(後にカミングアウトすることでその思いを納得して頂けることが非常に多かったですが)。その違和感はまあ当然といえば当然であって、僕自身もしっくりいっていない志向であって、ただ単に性的指向にひっぱられた結果の東京志向なのです。マイノリティはやはり田舎ではいろいろ生きにくいです。終の棲家として今の住所を選ぶつもりは一貫して無かったし、だからもし家を買うなら都心と決めていたのです。

 しかしながら、冒頭に述べたように、年をとったということをいろんなことの言い訳にして、とにかくいろんなことを億劫に感じながら、閉じた世界で決まったことを繰り返すだけの生活で完結してしまっているというのは、別に僕が田舎に住んでいて時間の自由がききにくい医者という生活をしているということだけに原因があるのではなくて、むしろただ単に自分の本質的な性格的問題だという気もします。

 誰かがtwitterで「東京には空が無いが、田舎には選択肢が無い」と呟いていました。田舎の価値観にどっぷりとつかってしまえばそんなに楽なことはないのでしょうが、その価値観かははみ出してしまったマイノリティにとって、その狭く閉じた世界は監獄のようにきついのです。

 医局を辞めて東京で働くという選択肢がいつでも実現可能にセッティングされたことで、そちらについてはむしろ慌てなくてもよいとも思えてきました。今いる病院は、まあ、なんだかんだいって今までにいたどの病院よりも勤務時間は短く、当直もなく、休みも比較的取りやすいのだけれども、ただ、外科の小さな所帯の、その狭さにそろそろ限界という気はしています。身も蓋もない言い方をすれば、嫌いな人と働くのはやっぱり嫌だということです。まあ、甘えるなといわれればそれまでだし、僕自身の至らなさもあるのかも知れませんけれども。

 僕は大学院である臓器チームに配属されました。真面目な大学院生とは言い難かったのですが、それでもチームの一員ということはずっと自覚していて、今もなんだかんだいいながら、大学の臨床研修登録医という形で、医局員という無形の所属だけではなく、公的な身分として籍をおいていて、週に一回のチームカンファレンスにも参加していますし、先述のように、大学の症例で学会発表も頻回に行っています。

 これから先、どうやって生きていくのか。とりあえずローンを払うという重荷を背負ったので、一応対価のもらえる労働は続けていかなくてはならなくなりました。まあ、いざとなればなんらかの形でマンション処分してしまえばいいだけの話です。目減りはするでしょうけれども、売れないという立地でも無いので。

 どこに住んでどんな労働を続けるのか。なんというか、現住地に縛り付けられる必要は基本的に全く無いので、あとは大学と関わり続けるか否かという話になってきます。もっと突き詰めれば、大学で専門診療に関わるのか、すっぱり医局を辞めて東京へ移って、労働は労働として割り切るのか、その二択なのかも知れないと思い始めています。

 大学は相変わらず働きやすい場所では無くて、地方の大学の外科にたくさんの新人が入ってくる見込みも無く、あんまり明るい話題は無いのですが、半端に大学を意識しながら、関連病院に無為にぶら下がっているのもなんだかよくわからなくなってしまったのです。特に今の勤務先は症例数とか立ち位置とかいろいろ一線とは言い難い微妙さがあるので。

 まあ、実際来年度どこで働くかはまだまだ不透明ですし、来年度の医局の人事には大きな課題がいくつもあって、なんとなくギリギリまで決定しなそうなのですが、大学へ戻る可能性が低くはないと思っています。それでやっぱりダメだと思えば、今度は関連病院へ出るのではなくて、思い切って医局も現住地も脱出してしまおうと。

 そんなことを漠然と考えているのです。