赤裸々

 ごぶさたしております。海外数ヶ国で4年ほど働いた後、なんやかんやで今はまた一時的に日本におります。
 僕がゲイであることの自覚をきちんと整理することができたのは、二十代後半とかなり遅かったのですが、そのきっかけの一つとして

ボクの彼氏はどこにいる? (講談社文庫)

ボクの彼氏はどこにいる? (講談社文庫)

この本との出会いがありました。誇張されたものではない、等身大の一人のゲイの姿が綴られており、そうした存在が自分以外にもいるということを教えてくれた、とても貴重な経験でした。
 さて、最近、文春オンラインの特集を通じて
bunshun.jp
僕が夫に出会うまで

僕が夫に出会うまで

この本に出会いました。本書には実に赤裸々に幼少期からの出来事が綴られており、社会からの無自覚な攻撃や、同性の友達に抱いてしまった恋への葛藤など、自分にも思い当たるような経験に一つ一つ強い共感を感じるものでした。もしかすると善意からかも知れないけれど、「多数派」の常識に引っ張られすぎるあまり、それがかえってより残酷な攻撃となっていることってとても多くて、今でこそ躱す方法も覚えたけれど、僕自身もかつて相当に思い悩んだものです。本にも綴られているような、まだ世界の狭い時期に、家庭とか学校とか逃げ場のないところでのそういった出来事は心に影を落とすことになります。少なくとも教育や医療の現場にいる人達にはこの世の中が「多数派」だけで構成されているわけではないということをもっと想像してもらいたいと思っています。

家族

 たいへんご無沙汰しております。 

 少し前には想定もしなかったような人生を送っています。

 全てのきっかけは肉親の死に帰結するような、そうでもないような。とにかく大学医局という枠組みの外に出たことで、それまで予定調和的に歩んでいた生活からは抜け出すことになり、ある意味での自由の中で、海外で働くことを選んだのです。しかし、任国の治安の悪化から、急遽退避することとなり、しばし先の見通しがたたないまま流浪の身となっていたものの、ようやく新しい任国に落ち着き、今に至っております。現在はアジア某国でそれなりに忙しい日々を送っています。

 仕事の場が日本の外へ移り、たまたまのめぐり合わせでそこを退避することになったり、今後もいろいろな国へ異動していく見込みであることを考えると、それはそれで変化のある生活であるとは言えます。しかしながら、その一方で、SNSなどを通して伝わってくる友人たちの、「人生の季節の移ろい」を見るにつけ、また改めてなんとも言えない寂しさと焦りというものが沸き上がってきて、頼るべき「家族」不在の将来に不安を感じはじめてもいるのです。

 血縁ということにはそれほどこだわりませんが、子どもの成長を見守ることができるような生活がしたいという気持ちが、周期的に沸き上がってくるのですが、容赦なく流れる時と刻まれる歳に、焦りのようなものが年々大きくなっています。もし本気で望めば、異性の配偶者を得ることができる、というタイムリミットが間近のような、もう過ぎてしまったような。

 まあ、自分の気持ちに嘘をついたり、相手に嘘をついてまで異性と結婚ということを望まないのですが、どうにかして、家庭と子どもを持つ生活を築けないか、とぐるぐる考えています。「結婚なんてするつもりはない」と言っていた友人や後輩たちも、気付けばあっさりと落ち着く所に落ち着いて、SNSに幸福な家庭の日常をアップしていたりするんですよね。

 数日前に一時帰国しました。日本の友人たちと年を越した後、少しだけ実家に帰ろうと思います。皆様もどうぞよいお年を。

ごぶさたしております

 メルマガはちょろちょろと書いていましたが、ここは本当に久しく放置状態になってしまいました…。なんかいろんなタイミングが僕の背中を押してくれた結果、なんやかんやで日本を飛び出して、今は遠い国で働いています。いろんな情勢のせいで、予定より早く任地を離れることになり、今はまた別の国へ異動する準備をしております。
 また何かしらご報告することがあればここに書きます。とりあえずは生存報告に代えて。

近況

 先日、当直明けに見舞った病室で、母を見送りました。高校を卒業して就職、その後ほどなくして結婚し、最初の子が僕ですので、まだまだ若く、年金を受け取ることのできる年齢に達する前にこの世を去ってしまいました。前回までに綴ったように、ある意味主治医よりも先回りして、「治療がうまくいけばそれで良し、しかしそうでない可能性も考えたときに、いよいよの時には何もできないのだから、今から考えて悔いのない形で身の回りの整理をしておいた方がいいと思うよ」と伝えていました。

 僕が普段診療している患者さんの多くは癌であり、中には非常に厳しい経過が予想される方も少なくありません。ですから、かなりの進行癌であったり、再発の治療に入るような方には、治療をしないという選択肢も含め、もちろん良い方向へ向かうことを祈っているけれども、そうでない時のことをしっかり考えておいたほうがよいというお話をなるべくするようにしていました。もちろん相手によりますから、なかなかそういうお話が難しい方もいますし、話し方には細心の注意を払い、また、その後もしっかりとフォローアップをする覚悟を持ってお話をさせて頂いていました。それと同じ事を母にしたわけです。

 やややっかいな血液腫瘍の再発に対する治療を昨春から開始していたのですが、あまり効果の感じられないまま時が過ぎ、例年の人事希望調査が行われた夏頃には、僕は大学医局を辞めるということを迷いなく考えていて、母にもその気持ちを伝えました。母は、自分のために僕が大学を離れてしまうということを非常に気に病んでいました。しかし、僕が医局を辞めるということを考えたのは、必ずしも母の病気のことだけではないと思っていて、それはひとつのきっかけに過ぎないのだ、ということを母にも大学にも伝え、今に至っています。

 いろいろと問題の多い父にかわって、母は実家におけるほぼ全てのことを一手に引き受けてくれていました。そうしたことを、今後は僕が引き継いでいくこととなり、年度替わりの頃は、ずっとバタバタしていました。ずっとパート勤務だった母が何年か前に立ち上げた小さな会社を引き継ぐことにもなり、常勤としての医師の仕事は中断しています。今後落ち着いたらまた再開を考えていますが、もろもろの整理がつくまでは、一時お休みさせて頂く所存です。

 これもまた、僕らしい選択だと思いますし、特に迷いもない決定でした。これからのことは、まあ、ゆっくりと考えてみます。しかし、ゲイにとって肉親が減っていくというのはこれ以上ない恐怖ですね。真に困ったことを相談できる人を失ってしまい、いろんな問題をかかえる親類が残った今、むしろ僕は相談を受ける立場になったようです。今まで長く一人で暮らし、血縁のことをあまり考えずにすんだのは母のおかげであり、そうした意味では今後少し大変かも知れません。

 まあ、なるようになるでしょう。

近況

 母親がとある難しい病気の再発で闘病中。厳しいかも知れない。患者さんへ接する時のスタンスと同様、再発の治療がはじまった時点で、母には最悪の結果も考えた上で、自分が何がしたいのかを考えておくようにとしつこいくらいに伝えていた。母はずっとパートで働いていたのだけれども、様々な人々の支えがあって数年前に会社を起こした。その会社の整理ということなどが常に気にかかっている様子だったので、特に念入りに伝えた。ある意味残酷で、しかしながら大切な告知だと思う。何も言わずにいたら「治療が全部すんでから考えたい」という母は、何一つ自分の望む整理がつけられずに今に至ったに違いない。

 もちろん治療がうまくいくことを望んでいる。まあ、後腐れなく整理した上で、うまくいったらあとは好きに生きればいいよ、という前提で。恥ずかしながら、僕の実家周辺にはいろんな問題を抱えて自立した生活がままならない家がいくつかあって、我が家が、というか実質的には母が面倒をみてきた。僕は金銭的な援助だけで、実質的に実家や親戚を支え動かすことは、全て母に任せてきた。今まではそれでなんとかなっていたけれども、いよいよ僕がいろんなことを背負わなければならない。そういう意味では、母親にかなりの負担をかけてきたのかも知れない。恥ずかしながら。

 母のことはそれでも一つのきっかけに過ぎない。現在のような生活のすべてをほぼ病院に捕まっているような生活をいつまでも続けることは体力的にも精神的にも、僕の目指すべきところとしても正解ではないと信じていて、そういうこと全てをひっくるめて、大学医局には正式に人事から外してもらいたいという希望を伝えた。事情が事情ということもあり、とくに揉めることもなく、暖かく配慮して頂いている。医局の、というか日本の医療職全体の前時代的な勤務体制には不満はたくさんあるけれども、基本的には僕をそれなりにまっとうに育てて頂いたという恩義は十分に感じている。

 僕がその話題に触れられることを嫌がり、はっきりと嫌だと伝えていたこともあり、一応避けてくれていた「結婚」ということを、こういう病状になった母が、しきりに持ちだしてくるようになった。ゲイであるということは伝えれば理解はしてくれるような気もするけれども、敢えて血縁者に伝えなくてもよいと思っている。悩ましいところである。この一点においては、嘘のやり取りを続けるのが心苦しくもあるけれども、理解し受け入れるまでに病気以外の心配事を抱えさせてしまうのが嫌なので、今のところはずっと胸にかかえようと思っている。

 一応年度変わりで人事を外れるのだけれども、病状の進行によっては春以降というよりもその前の時期が重要かもしれない。いずれにせよ、春からは少し考える時間や休む時間もいただこうと思っている。必ずしもすぐに働かないかもしれない。少し状況をみつめて対応してみようと思う。

近況など

 なかなか長い文章にまとめるようなはっきりした「思い」というようなものもなく、漠然とした焦燥とか不安の中に生きていました。なんていうのか、思い悩む時期なのかも知れません。

 少し前に大学院を修了し、博士号をとりました。現在は市中病院で働いています。ただ、最近はなんのために働いているんだろうということばかり考えていて、いまひとつ気持ちがすっきりしません。僕はよく、他人から自由に生きているとか、自信に溢れているというようなことを言われるのですが、自信に満ち満ちて生きていた記憶というのはあんまりなくて、むしろ、自信が無いからこそ自分の主義主張をしっかりと言葉にして描出してきたというかなんというか。心の危うさというのが思春期からひとつも進歩していないなと思いながら、日々を生きております。

 外科医という業の深い職業。他人様の身体に合法的に傷を付けることのできる権利は、同時に大きな義務を生じるのだということは常に自覚しながら生きているのだけれども、それでもやはり「24時間365日医者であれ」というスタイルは強者の弁であって、スーパーマン医師に基準点をおいてしまうことは、医療制度の維持の上でやはり無理があるのではないかと思っています。

 いろんなもやもやを抱えながら、いろんな学会に発表しに言ったり、専門医試験を受けにいったりはしていました。昨年は飛行機で行くような学会が無かったのが一転、今年は比較的遠いところが多かったです。学会と夏休みくらいしか遠出もできないので、学会での知識の更新はもちろんのことではあるのだけれども、非日常の空気を浴びて気分転換するという意味でも、僕にとってそれは重要なことなのです。

 そうして傍目にはアクティブに活動しているようでありながら、内面では事あるたびに、年をとった、ということを言い訳にして生きている気がするのです。とかくいろんなことが億劫になりつつあります。

 先日、都内にマンションを購入しました。現在の職場は東京ではないので、二重生活ということになります。変化のない、季節感のない僕の生活の中で、突如マンションを買うことになったというのは一つの彩りではありました。一緒に住む予定の家族も無く、相続をして譲るべく子孫を残す可能性が限りなくゼロに近い状態で、しかもすぐには職場を移らないというのに、何千万円もの借金を背負って家を買うというギャンブルを行う必要があったのかどうかは今でも正直よくわからないし、家を買うということがこんなにも面倒くさいものだということを知っていたら思い切れなかったかも知れません。

 今回のマンション購入には、一つには親孝行としての意味があります。親がそこに住むということではないのですが、子どもに家を持って(できれば結婚もして、子どもを持って)落ち着いて欲しいという願望がずっとあったのだと思います。両親の世代の経済状況、不動産を持つことの意味と、現在のそれは全く違うし、(親には伝えていませんが)ゲイとして生き、恐らく子どもを持つことがない僕にとって、親が思い描いている「子どもが家を持つこと」とは様々なずれがあることは承知しているつもりです。でもまあ、とにかく親としては僕がマンションを購入したことに大きな喜びを感じているようなので、まあ、それだけでも良かったのではないかと思っています。

 もう一つには、まあ、今回のマンション購入がなければ、僕は結局一生東京に出ていくことが無いまま終わったのではないかという思いがあります。現時点で出ていっていないので、購入したところで東京に出ないまま終わるという可能性も無きにしもあらずですが。今までの状況よりは、東京に出ていく動機付けがしやすくはなりました。

 僕に医学部進学を勧めてくれた高校時代の担任教師が、「チャンスがあればすぐにでかけていけるように、根をはらずに身軽にいなくちゃいけないのよ」なんて言っていたのが深く印象に残っていて、実際に身近なところで、その能力とチャンスを最大限に生かして国内外あちこちに飛んで行った人々を何人も知っています。なのに逆に根を張るように動くのも妙な話なのですが、今いる場所に根をはるのではなくて、出ていきたいと考えている方向に根をはろうとしているというのが、まあ前向きといえば前向きなんでしょうか。

 僕がゲイであるということを知らない方々は、事あるたびに僕が口にする東京志向に違和感を感じていたことと思います(後にカミングアウトすることでその思いを納得して頂けることが非常に多かったですが)。その違和感はまあ当然といえば当然であって、僕自身もしっくりいっていない志向であって、ただ単に性的指向にひっぱられた結果の東京志向なのです。マイノリティはやはり田舎ではいろいろ生きにくいです。終の棲家として今の住所を選ぶつもりは一貫して無かったし、だからもし家を買うなら都心と決めていたのです。

 しかしながら、冒頭に述べたように、年をとったということをいろんなことの言い訳にして、とにかくいろんなことを億劫に感じながら、閉じた世界で決まったことを繰り返すだけの生活で完結してしまっているというのは、別に僕が田舎に住んでいて時間の自由がききにくい医者という生活をしているということだけに原因があるのではなくて、むしろただ単に自分の本質的な性格的問題だという気もします。

 誰かがtwitterで「東京には空が無いが、田舎には選択肢が無い」と呟いていました。田舎の価値観にどっぷりとつかってしまえばそんなに楽なことはないのでしょうが、その価値観かははみ出してしまったマイノリティにとって、その狭く閉じた世界は監獄のようにきついのです。

 医局を辞めて東京で働くという選択肢がいつでも実現可能にセッティングされたことで、そちらについてはむしろ慌てなくてもよいとも思えてきました。今いる病院は、まあ、なんだかんだいって今までにいたどの病院よりも勤務時間は短く、当直もなく、休みも比較的取りやすいのだけれども、ただ、外科の小さな所帯の、その狭さにそろそろ限界という気はしています。身も蓋もない言い方をすれば、嫌いな人と働くのはやっぱり嫌だということです。まあ、甘えるなといわれればそれまでだし、僕自身の至らなさもあるのかも知れませんけれども。

 僕は大学院である臓器チームに配属されました。真面目な大学院生とは言い難かったのですが、それでもチームの一員ということはずっと自覚していて、今もなんだかんだいいながら、大学の臨床研修登録医という形で、医局員という無形の所属だけではなく、公的な身分として籍をおいていて、週に一回のチームカンファレンスにも参加していますし、先述のように、大学の症例で学会発表も頻回に行っています。

 これから先、どうやって生きていくのか。とりあえずローンを払うという重荷を背負ったので、一応対価のもらえる労働は続けていかなくてはならなくなりました。まあ、いざとなればなんらかの形でマンション処分してしまえばいいだけの話です。目減りはするでしょうけれども、売れないという立地でも無いので。

 どこに住んでどんな労働を続けるのか。なんというか、現住地に縛り付けられる必要は基本的に全く無いので、あとは大学と関わり続けるか否かという話になってきます。もっと突き詰めれば、大学で専門診療に関わるのか、すっぱり医局を辞めて東京へ移って、労働は労働として割り切るのか、その二択なのかも知れないと思い始めています。

 大学は相変わらず働きやすい場所では無くて、地方の大学の外科にたくさんの新人が入ってくる見込みも無く、あんまり明るい話題は無いのですが、半端に大学を意識しながら、関連病院に無為にぶら下がっているのもなんだかよくわからなくなってしまったのです。特に今の勤務先は症例数とか立ち位置とかいろいろ一線とは言い難い微妙さがあるので。

 まあ、実際来年度どこで働くかはまだまだ不透明ですし、来年度の医局の人事には大きな課題がいくつもあって、なんとなくギリギリまで決定しなそうなのですが、大学へ戻る可能性が低くはないと思っています。それでやっぱりダメだと思えば、今度は関連病院へ出るのではなくて、思い切って医局も現住地も脱出してしまおうと。

 そんなことを漠然と考えているのです。

オトメンと僕のトラウマ

血縁にまつわるもやもや

 親族の結婚式や葬儀などが続き、実に久しぶりにあれだけの親類が集まりました。

 血縁という関係性はありがたくもあり、ゲイとして生きる上ではこの上なく鬱陶しいこともあります。結婚へのプレッシャーなどもあり、僕にとって実家というのは必ずしも安らげる場では無くなってしまっています。僕が実家に安らぎを感じられない、特に父親とはあまり相容れないという感覚が、果たして僕がゲイであるということだけで説明が付くのかどうかはよく分かりません。しかし、とくに一人暮らしにすっかり慣れ、幼い頃に移り住み、その後高校卒業までを過ごした現在の実家よりも、もはや今の場所での一人での生活が長くなってしまった今、さらに実家が苦手になっていることにいろんなもやもやしたものを感じています。
 別段険悪な関係というわけではないのですが、なんとなく必要以上に近寄りたくないし、ゲイであるということをうち明けたい存在にも成り得ないんですよね。説明はしにくいんですけれども。特に父親には、ゲイであるということを除いた、他の僕の私的な部分にもあまり触れて欲しくはないんです。兄弟というのも滅多に連絡をとったり会ったりすることもない関係性で、特に何かを語り合いたいとも思えないんです。前にも書いたかも知れませんが、親しい友人の結婚式に出席したり、友人の子どもの成長をみたりしているときにもなんとも言えない「もやもや」を感じていたんですけれども、身内のそれに際して、比べものにならないもやもやを感じてしまったのかも知れません。血縁者に関して、未だに反抗期から抜け出せないのか、それ以外の理由なのか、ゲイであるということが一因なのか、単に僕の性格の問題なのか、心を許せないという自分を哀しく感じてしまうようなところもあり、ちょっと心のざわつきが押さえきれない感じです。

 年々、人付き合いを広げているようにも見えながら、実のところ自分の好き嫌いがより鮮明となりつつあり、好きな人間以外とのつきあいを極端に避け、また、一人の時間を欲する頻度が増えています。仕事の後、ちょっと買い物に寄ったりするのがたまらなく億劫で、早い時刻に病院を出ても自宅に直行し、かといって何もするでもないような日が、数年前に比べてやたらと増えているのです。酒も以前ほど呑めなくなったし、夜遊びがきつくなってる。年をとってしまったということなんでしょうか。

 ある友人が言っていたような感覚を実感しています。休みの日を心待ちにしていながら、休みの日が予定ガチガチで忙しすぎるのも嫌で、かといって予定が何にも無いのも嫌で、実際にはあれほど楽しみにしていた休みを無為に過ごしてしまうことが多いというようなことは僕も最近頓に感じているのです。仕事はそこそこ楽しいとは思うけれども、そこにすべてを集中してのし上がってやろうという思いはあんまりありません。外科医である以上、一人立ちするためにはもう少し努力が必要そうだけれども、そのためにプライベートがあまりにも犠牲になってしまうならば、メスをおくという選択肢は十分にあります。

父への距離

 父方の親類が亡くなって葬儀に出席しました。僕は極端に母方の親戚に偏ったつきあいをしていたのと、故人が実に九十年を生きた大往生ということで、あまり特別な感情がわき上がってきませんでした。そういった自分の冷たさが嫌になることも多々あります。

 考えてみれば、父方のいとこたちと会うのもおそらく十年ぶりくらいではないかと思います。父方・母方ともおおむねいとこたちは僕より少し年上くらいの世代です。いとこたちは結婚も割合早い時期にしているので、その子供のうちでも一番大きな子は中学校に通っています。いとこの子供となると、血縁としては結構遠い気もしますが、父方のいとこ同士はそれなりに行き来があって、いとこの子供同士も何度も会っているようです。そういえば、僕も母方のいとこの子供たちには頻回に会っていて、お年玉もあげています。

 父方の実家と母方の実家の距離は車で一時間はかからない程度なんですが、おおむね母方の実家に頼った生活をしていました。かつて母方の狭い実家に身を寄せたこともあったし、祖父母と離れての生活が始まった後も、しばらくの間、毎日母方の実家から小学校に通っていました。

 今回の葬儀に父方のいとこが時折涙をみせるのを冷静に見つめながら、そういえば母方の祖父母や叔父が亡くなった時には相応の深い思い出が蘇ったのを思い出しもしました。

 母の実家も田舎は田舎ですが、一応市制を敷いた町であり、母の実家は、今は寂れたといえ、市の中心の商店街の一角でした。それに対して、父の実家はそれは絵に描いたような村落で、店という店も無いし、田圃のあぜ道みたいなところ以外に家に到達する術のない環境です。周囲はほぼ全て田圃と畑、ただ家の裏手にあった竹藪は綺麗に消え去り、誰か知らない人の土地となって家が建っていて、村内電話番号四桁のみで通じた時代から、市町村合併で県庁所在地に吸収された今までの時の移ろいを少しは感じたりもしたのです。

 母方のいとこも含め、ほぼ全てが結婚した中で、親戚が雁首そろえる、しかも、村落のムラっぽさを存分に感じさせてくれる葬儀という場面が、不謹慎ながら故人を偲ぶことよりもむしろ、結婚しない人生を歩むということへの今更ながらの不安やいろいろをぐるぐるぐるぐる考えていまい、激しく心をざわつかせてしまったのです。

 折り悪く、先週まで平和というかヒマだった仕事も、久々の辛い手術と、その厳しい術後管理に始まり、また管理の厳しそうな症例を入院させたりなどかなり慌ただしく、そうした重症やら厄介ごとをまとめて急に上司にお任せしたまま、通夜と葬儀に出ていたこともあり、已むを得ないこととは言え、やっぱり医局や病院に長年洗脳されてきた奴隷労働者的な思考による罪悪感を感じてしまっています。それと同時に、ろくにお見舞いにもいかずに迎えた親類の死に対するもやもやとか、その死に関する自分の感情の薄さに対する嫌悪とか、ゲイである自分が「血縁」に対して感じる重いプレッシャーとか、負の感情がうねってしまってどうしようもないのですが、こうして文字にしてはき出すと落ち着くことが多いので、読む人の不快感とかを無視して書き殴っています。すみません。

オトメンと僕のトラウマ

 なんとなく録画しておいたテレビドラマ「オトメン(乙男)」を観る機会がありました。これは壮絶にトラウマをほじくりかえされるドラマでした。もちろん大抵の人にはこれは単なる娯楽であり、ファンタジーなのでしょうけれど。

 男らしさの中に乙女的な趣味を持っているが、それを恥じて外には出さない主人公。自分が幼い頃、父親が「本当は女になりたかった」と言って家を出てしまったことがトラウマになっている母親に「男らしく」育てられ、男性が乙女的であることを毛嫌いする母親に本当の自分を隠し続けて生きながらも、オトメンとしてのありのままの自分を受け入れてくれる友人たちとの日々に安らぎを覚えていきます。

 彼らの恋愛対象は女性であり、女になりたいわけではなく、あくまでも男性でありながら女性的な趣味を持っているというのがオトメンです。僕は恋愛対象が男性に向いているというだけで、そもそも女性的でありたいという願望はほとんどないから、オトメンとは特段共通点があるわけでもないけれど、心理的な部分ではいろいろ似ています。あと、もしかすると、僕は女性らしくありたいという願望を、自制して今に至った可能性もあるのです。幼い頃の僕は相当にオトメンだったし、基本的に男の子よりは女の子と女の子らしい遊びをしていたかったのです。

 推定すると恐らく2歳頃の誕生日の話だと思います。母親が、僕に誕生日プレゼントの希望をきいたことがあったらしいのです。僕はフランス人形を所望したらしいのですが、母親はとてもびっくりして、もっと男の子らしいものをと当時の僕に勧めたのだそうです。そんな話を笑い話として幼稚園生くらいの頃にきかされたのです。親としてはたわいのない話であり、笑い話なのかも知れないけれども、これは今日の僕にも強烈なトラウマを残しています。

 多分大人の顔色をうかがう癖はこの頃に始まったのだと思います。水が出るしかけになっている台所セットとかお洗濯セットみたいなものが欲しくても、それがチラシの「女の子向け」のおもちゃに分類されていれば、口が裂けてもそれが欲しいなんて言えませんでした。縁日で果物や野菜を模したおままごとセットを自分のお小遣いで買う時も、誰にきかれているわけでもないのに、「従姉妹にあげるんだ」とか妙な言い訳をしていたのです。

 本当につまらないことなのかも知れないけれども、僕の中では、僕の正直な気持ちが嘲笑われたフランス人形の思い出が強烈過ぎて、何となく肉親に心をすべて打ち明け難いのです。僕はオトメンの主人公ほど優しくは出来ていないので、母親を傷つけたくない、ショックを与えたくないというような他人を思いやる気持ちというよりは、自分自身がこれ以上傷つきたくないというようなほぼ利己的な思いから心を閉ざしてしまいがちです。オトメンの主人公が友人たちの前では正直に生きられたように、僕もカミングアウトがすんでいる仲間たちの中でこそ安らぎを得られるし、無神経に結婚の話題を振ってくるような、血縁という強烈な関係性が正直鬱陶しくて仕方がなくなることがあるのです。

 弟の結婚や祖母の葬儀など、親類と顔を合わせる機会が多かったこととも相まって、オトメンの母親という存在が、激しく僕のトラウマに触れた。「我慢の上には幸せは築けない」とか、「正直な人はほとんどいない。でもあなたにはそうあって欲しい」など、トラウマをえぐられたあとに感情を揺さぶる言葉が響くのです。原作は全く読んだことがないので、ドラマがどの程度原作を反映しているのかわからないのですが、ネット上での情報を拾い読みする限り、原作には「男らしさ・女らしさ」というものへの皮肉が随所に散りばめられているとのことです。今度読んでみようと思います。

 幼いながらに、親に養われなければ生きていけないと思っていたし、両親というところへの繋がりが切れてしまうことには絶望が伴うような気がしていました。それほど壮絶なことはなかったけれども、父親にはあまり理屈が通じなかったり、経済観念がおかしかったり、感情的で手が出やすいようなところがあって、それに対するいいようのない恐怖と不満が渦巻いてもいて、それについても未だに心を整理仕切れていない部分があるのです。それはただしかし、単に僕の幼さということなのかも知れません。