近況

 母親がとある難しい病気の再発で闘病中。厳しいかも知れない。患者さんへ接する時のスタンスと同様、再発の治療がはじまった時点で、母には最悪の結果も考えた上で、自分が何がしたいのかを考えておくようにとしつこいくらいに伝えていた。母はずっとパートで働いていたのだけれども、様々な人々の支えがあって数年前に会社を起こした。その会社の整理ということなどが常に気にかかっている様子だったので、特に念入りに伝えた。ある意味残酷で、しかしながら大切な告知だと思う。何も言わずにいたら「治療が全部すんでから考えたい」という母は、何一つ自分の望む整理がつけられずに今に至ったに違いない。

 もちろん治療がうまくいくことを望んでいる。まあ、後腐れなく整理した上で、うまくいったらあとは好きに生きればいいよ、という前提で。恥ずかしながら、僕の実家周辺にはいろんな問題を抱えて自立した生活がままならない家がいくつかあって、我が家が、というか実質的には母が面倒をみてきた。僕は金銭的な援助だけで、実質的に実家や親戚を支え動かすことは、全て母に任せてきた。今まではそれでなんとかなっていたけれども、いよいよ僕がいろんなことを背負わなければならない。そういう意味では、母親にかなりの負担をかけてきたのかも知れない。恥ずかしながら。

 母のことはそれでも一つのきっかけに過ぎない。現在のような生活のすべてをほぼ病院に捕まっているような生活をいつまでも続けることは体力的にも精神的にも、僕の目指すべきところとしても正解ではないと信じていて、そういうこと全てをひっくるめて、大学医局には正式に人事から外してもらいたいという希望を伝えた。事情が事情ということもあり、とくに揉めることもなく、暖かく配慮して頂いている。医局の、というか日本の医療職全体の前時代的な勤務体制には不満はたくさんあるけれども、基本的には僕をそれなりにまっとうに育てて頂いたという恩義は十分に感じている。

 僕がその話題に触れられることを嫌がり、はっきりと嫌だと伝えていたこともあり、一応避けてくれていた「結婚」ということを、こういう病状になった母が、しきりに持ちだしてくるようになった。ゲイであるということは伝えれば理解はしてくれるような気もするけれども、敢えて血縁者に伝えなくてもよいと思っている。悩ましいところである。この一点においては、嘘のやり取りを続けるのが心苦しくもあるけれども、理解し受け入れるまでに病気以外の心配事を抱えさせてしまうのが嫌なので、今のところはずっと胸にかかえようと思っている。

 一応年度変わりで人事を外れるのだけれども、病状の進行によっては春以降というよりもその前の時期が重要かもしれない。いずれにせよ、春からは少し考える時間や休む時間もいただこうと思っている。必ずしもすぐに働かないかもしれない。少し状況をみつめて対応してみようと思う。