日本の仏教と同性愛

 仏教における同性愛を考えてみます。仏教においては、一神教にあるような、同性愛者差別の歴史はあまり知られていません。教典で同性愛を禁じているものもあるようですが、あまり声高に叫ばれているものでもないようです。仏教の立場からの同性愛を否定するような言葉としては、チベット仏教ダライ・ラマが1997年にサンフランシスコで「同性愛者は人間としての尊厳と権利をもつとしながらも、同性愛行為そのものは仏教の戒律に反する」という説法を行ったことがありました。しかし、全体として、キリスト教イスラム教社会に比べると、仏教社会では、異質なものを比較的に寛容に扱うような面があるように感じています。

 また、世界の仏教国が似たような文化を持つ部分はあったとは思いますが、その国によってかなり扱いが異なり、独自の発展を遂げている部分が大きいように思います。ですから、一口に「仏教における同性愛の扱い」ということを言うのは難しいので、あくまで、日本における同性愛の歴史を、仏教文化と絡めて綴ってみます。

 ちなみに、「同性愛(homosexuality)」という言葉がはじめて成立したのは1867年のことです。これは、ハンガリーの医師カローイ・マリア・ケルトベニーによって、病名として用いられたものです。はじめて同性愛というものを定義的に扱った言葉が「病名」としてのものであったため、その言葉とともに差別的な要素がしつこつ付きまとう一因となっているわけです。

 いずれにせよ、言葉が存在する以前に、概念としての同性愛というものは、はっきりとしていなかったのであろうと推察されます。しかし、概念としてはっきりする以前にも、日本にも同性愛が存在したことが知られています。

 日本における、最古の同性愛の記述は「日本書紀」であると言われているようです。そこで男色は「阿豆那比ノ罪」という言葉で語られています。日本書紀第九巻の中に、次のような内容が記されています。「神に仕える身である小竹祝と天野祝は互いに深く想いあっていた。小竹祝が死んだ時に悲しんだ天野祝は後を追った。そのため付近の土地は光を受けず夜のように暗くなってしまった。彼らが阿豆那比ノ罪を作った」

 後述しますが、日本においては、同性愛が罪として捉えられるのは、近世以降、西洋文化流入に伴ってのことと言われています。ここでは、同性愛ということ自体が罪なのか、「神に仕える身でありながら」というところがポイントなのか、はっきりしませんが、いずれにせよ、ここに「罪」という言葉を使っているのは興味深いところだと思います。その一方で、この関係を、「善友(うるわしきとも)」と書いています。日本において、愛と友情の境界があまり明確でなかっということを伺わせるものでもあります。

 日本書紀においては、実際の生活の中に同性愛が存在していたのか、許容されていたのかということははっきりしません。日本において、同性愛が社会に定着したのは、平安時代の仏教界という有力な説があります。これは、留学先である中国からの性風俗を輸入したものと考えられています。同性愛の対象となる稚児は仏の化身とされ、同性愛は仏性と交わる宗教的な意味を持っていたといいます。これは、ギリシャ・ローマ時代時代、ローマの神々を祭る神殿での、「神殿娼婦・神殿男娼」を介した神と交わる儀式に通ずるものを感じ、興味深いところです。自由恋愛や、性欲の発散ということとは、また違った意味を持っていたもののようです。

 この時代の書物にも、同性愛に関する記述は数多くみられます。「続日本記」には、天武天皇の第七王子である新田部親王の子で皇太子の道祖王が侍児と男色行為をし廃太子になったという記述があります。「伊勢物語」にも「うるはしき友」に恋をする内容が描かれます。有名なところでは、「源氏物語」に同性愛が登場しています。

 一方、極楽へ行くための方法を記し、平安時代に流行した「往生要集」の中では、同性愛が罪であるとはっきり書かれています。「おとこが男に愛著して邪行を犯したるものここ(地獄)におちて」というように、同性愛は地獄へ行く罪とされました。日本において、仏教の経典の中に同性愛を禁じる記述があるのは、この影響も大きいとされています。しかし、社会は「同性愛禁止」をあまり問題視せず、むしろ貴族・僧侶の世界ではさらに盛んになっていったようです。

 そうして盛んになった同性愛は武家社会に普及していきました。それは「衆道」と呼ばれ、年長者が年少者を愛し保護する一方、年少者は年長者からの愛を受けて忠義を尽くすという封建社会的なものがあったようです。「葉隠れ」には男性の同性愛を至高の愛の形態とする記述もあります。鎌倉時代の史書「吾妻鏡」には稚児を扱う多くの記述が登場していますし、「増鏡」でもごくありふれたこととして同性愛がとりあげられています。多くの戦国武将がこの「衆道」を行っていました。ただ、これもあくまでも主従関係の延長としてのものであり、自由恋愛というものからはほど遠いものであったと考えられます。

 この時代までの「同性愛」は、対象が少年であり、また、その背景に宗教的意味や、主従関係などが存在しており、現代における同性愛とは区別する必要があります。文化的同性愛とでもいうようなものでしょうか。先ほど、仏教における同性愛に、キリスト教以前のギリシア・ローマ時代の「神殿男娼」に通ずるものを感じると述べましたが、「衆道」には、古代ギリシアプラトニック・ラブ(もともとは、当時一般的だった同性愛=少年愛をさしているものといわれる)を類推させます。ギリシア・ローマも、もともとは「多神教」を信じる地域であり、このあたりに、日本と似たような背景を有しているのでしょうか。この神殿男娼が、キリスト教によって徹底的に批判されているのは、以前キリスト教の話題で書いた通りです。

 江戸時代には、同性愛は庶民にまで広がりました。ここからは、制度化された同性愛文化というものから、自由になる様子がうかがえます。しかし、現在の同性愛とはやはりわけで考える必要があると思います。「文化的同性愛」は、純粋な同性愛というよりは、「両性愛」という側面が強かったし、江戸時代の同性愛は、「奔放な性」という意味合いが強いように感じるからです。

 江戸の町では、「陰間茶屋」などを通じての同性間の売春行為が容認されていましたし、男色文学なども存在しました。「東海道中膝栗毛」の北さんや白浪五人男の一人、弁天小僧菊之助などは「陰間上がり」という、元男性売春者という設定です。井原西鶴著「好色一代男」にも、男性間の性交渉が描かれています。この頃になってはじめて「男色」という言葉が用いられはじめました。

 ずっと男性間の同性愛についてのみ述べてきましたが、女性間の同性愛については、ほとんど知られていません。日本においても、ずっと女性の地位が低く、男性中心の社会であったため、女性の自由意志での性的関係というのは、ほとんど認められていなかったのだと思われます。

 江戸時代に至り、外国人が驚いて文章に残すほど、奔放に同性愛を受け入れていた日本ですが、明治以降、極めて短期間に、社会は同性愛を否定します。やはり、ここには西洋文化流入という影響が大きいと思います。もともと、日本において性は非常に自由なものであり、趣味や快楽として楽しむべきものだと考えており、そこに西洋的「倫理」などが入り込むことはありませんでした。そのため、江戸時代までの日本においては、人々の性行動は多様でしたし、それが正常か異常か判断する基準を持っていませんでした。

 しかし、西洋医学、あるいはキリスト教的価値観に裏打ちされた西洋社会の倫理において、性行動も、はじめて正常と異常に分類されることになったのです。当時の西洋社会の扱いに従って、同性愛は「異常」で「病的」とされました。また、同性愛に限らず、奔放な性は罪とされました。こうして、同性愛は「医学的には異常、倫理的には罪悪」と決められてしまいました。

 そうして、明治以降、同性愛を批判する書物が増えてくるようになりました。また、日本の歴史において、唯一同性愛が禁じられたのがこの頃です。「改定律例(1873〜82)」において、男性同性愛が処罰の対象とされました。ただし、これはその後の旧刑法には規定されず、現在まで、法律で規制された時代はありません。

ウリ専

新宿二丁目ウリセン物語

新宿二丁目ウリセン物語

ウリ専!♂が♂にカラダを売る仕事

ウリ専!♂が♂にカラダを売る仕事

 男が男に体を売る、という仕事。それが良いことなのか悪いことなのかよくわかりません。お金を払って性的快楽を得る、ということは同じといえば同じですが、出会いの限られたゲイにとっての「ウリ専」は、ノンケ(異性愛者)向け風俗とは異なった事情がたくさんあります。
 一般社会では、ゲイがノンケに比べ性的に乱れていて、手当たり次第に男と寝るというような誤解があります。一部にはそういうゲイもいますが、全体がそうだということはありません。また、ハッテン場と呼ばれる、ゲイがセックスの相手をみつけるための施設があることは事実ですが、皆が皆そこを利用するわけでもなく、そこに出かけていってももてない人はもてないようです。また、そういうところでもてない人が、ウリ専で男を買うのかというと、必ずしもそういうわけでもないようです。一般社会ではノンケのようにふるまっているゲイが、密かにセックスを買うという需要もあるようです。
 そんなわけで、ゲイのほとんどは、「ウリ専」の存在を知ってはいても、詳しい事情を知っているとは限りません。僕も、ウリ専の世界についてはあまり知らなかったのですが、これらの本によってある程度の事情を知ることができました。
 とりあげた本のうち、「新宿二丁目ウリセン物語」は、著者がボーイよりかなり年長であり、本文中に何度も出てくるような「保護者的視線」もあるせいか、どうも全体的やたら上から見た物言いが多いようです。そのせいで、少し鼻につくところもありましたが、バーでボーイを指名するという、古いタイプのウリ専の事情について詳しいです。「ウリ専!」の著者はノンケの若い方のようです。よく取材した上で、ボーイを同じ高さの視線で見つめたような文章が綴られていて、読後感は前者に比べてすっきりしていました。

東京レズビアン&ゲイパレード2006

http://www.tlgp.org/
 今年は8/12に開催決定だそうです。渋谷の街の中を歩く大きなイベントなので、目にしたことがある方も多いかと思います。まさか僕がここを歩くことになるとは夢にも思わなかったのですが、昨年、はじめてパレードを歩いたのでした。サングラスかけて、「撮影禁止フロート」での参加でしたが、それでも、何か大きな一歩という気はしました。
 もっとも、ゲイの中にもパレードには否定的な意見も少なくないのですが。僕は今年も都合がつけば参加したいと思っています。

イスラム教と同性愛

 前回、キリスト教における同性愛の扱いについて述べてきました。イスラム社会での同性愛というものは、キリスト教圏の比ではないレベルでタブー視されています。イスラム法に則った社会においては、同性愛者であるという理由だけで、死刑に処されることがあり、そのために難民まで発生しています。

 モーリタニアサウジアラビアパキスタンスーダンアフガニスタンイエメン共和国オマーンにおいては、刑法自体には同性愛者の処罰について明記されていないようですが、実際のところ、イスラム法の実践によって人々を死刑に処しているといいます。もっと積極的に、イスラム法に則って刑法を規定している国もあります。例えば、イラン・イスラム共和国においては、以下のように刑法を定めています。

第108条 ソドミーとは二名の男性で行われる性行為で、かつ性器の挿入を含むもののことを指す。
第109条 ソドミーが行われた場合、挿入者と被挿入者はともに処罰の対象となる。
第110条 ソドミーの処罰は死刑であり、執行の方法はイスラム法判事の指示に基づく。
第111条 挿入者と被挿入者がともに成人であり、健康な精神状態で自由意思によりソドミーが行われた場合、これを死刑に処す。
第121条 二名の男性間の挿入を伴わない性行為の場合、両者を100回のむち打ち刑とする。
第123条 二名の血縁関係にない男性が、不必要に全裸で横たわった場合、両者を99回のむち打ち刑とする。
第124条 性欲をもって同性とキスを行った場合、60回のむち打ち刑とする。

 また、女性間の同性愛についても規定があります。女性間の性行為は初犯が100回の鞭打ち、4回目で死刑となっています。その一方で、イランには性の変更に関する法律が存在しています。法律のみでなく、医療体制などもしっかりしています。こうして、心と体の性の不一致(トランスジェンダー)に関しては進んだ国とも言えるのですが、「同性愛は犯罪」という落とし穴があるため、性の変更に至る前に、同性愛行為によって処罰される可能性が高いのです。

 さて、イランの刑法の背景には、いわゆるシーア派法学というものが存在します。1990年5月に当時イラン最高裁長官であり、シーア派法学者の最高位の称号を持つムサヴィ・アルデビーリー師は、テヘラン大学の講演で、同性愛について次のような内容を述べています。「同性愛者に対しては、イスラムは最も厳しい処罰を科している。同性愛者を拘束し、立たせ、剣により、頭から二分するか斬首するかして体を二つに割くべきである。死亡した後は、火葬とするか、山頂から投げ落とすべきである。その後死体を集め、焼却すべきである。あるいは、穴を掘り、生きたまま焼却してもよい」さらに、その根拠として「7〜8世紀頃、シーア派の中軸的存在が、同性愛者の処罰について『殺害し、剣で斬首し、また、死体も処罰するため、丸太に結びつけ焼却せよ』と命じた」という逸話をとりあげたようです。

 現在進行形で、イスラム諸国で同性愛者への残虐刑が執行されており、その情報はネットでも容易に入手できます。現時点では、イスラムと同性愛は全く相容れないもののようです。

キリスト教と同性愛

 宗教というのは、本来心の拠り所であり、道徳であり、倫理となりうるものだと思います。大筋で、尊いもの、正しいものであるはずです。その宗教が、たびたび同性愛を否定します。単に、誰かに否定されるということではなくて、「正しいもの」という前提の巨大なものに否定されるということがどういうことなのか、想像してみて下さい。単に、それが自分の自由意志でなんとかなることであり、普通に考えて、やはり悪であると思えるものなら、自分を正しい道へ進ませる力となるかも知れません。しかし、何度も述べてきているように、僕は、同性愛という感情は、自分がいろいろな可能性の中から選択したものということではなく、修正不可能な感情、個人そのものであると考えています。

 同性愛に対する宗教の態度は様々ですが、結局は、同性愛者というのは少数派であり、異性愛の観点からは理解されにくいものです。また、そのコミュニティにおいて、「生殖」による子孫繁栄、コミュニティの維持というものにおいてはマイナス方向へ働く可能性が高いため、許容することはあっても、同性愛が異性愛以上に奨励されたという話はあまり耳にしません。対して、同性愛を否定する宗教は多数存在しています。世界の大きな宗教の流れである、アブラハムの宗教(ユダヤ教キリスト教イスラム教)の多くで、どちらかというと、同性愛を否定しているようです。そして、その宗教に密着した文化圏において、同性愛は否定的にとらえられます。

 キリスト教圏の諸外国で、同性愛者の権利が守られたり、同性婚が認められたりする流れとは矛盾するように感じられるかも知れませんが、やはり、キリスト教の中でも、特に保守的な宗派においては、同性愛を禁じ、罰する立場をとることが多いようです。これは、例えば旧約聖書の中の律法と呼ばれる部分「レビ記」において、男性間の性行為を死刑と定めていることなどを根拠にしているようです。「女と寝るように男と寝てはならない。それはいとうべきことである」、「女と寝るように男と寝る者は、両者共にいとうべきことをしたのであり、必ず処刑に処せられる。彼らの行為は死罪に当たる」という記述です。しかし、同じ律法の中に、たとえば「結婚している兄が死んだら、家系を絶やさぬように、弟がお兄さんの妻と再婚しなさい」というような、おおよそ現代の我々の感覚からはかけ離れた掟があるわけで、聖書の一字一句を守って生きている人など、まず存在しないわけです。ちなみに、この中でイカやタコを食べることも禁じているようです。

 これらは、民族の存亡の危機と闘っていた、古代のイスラエル(ユダヤ人)が、民族の純血性を守りつつ、人口の維持をはかるため、常に男性中心に考え、異邦人をなるべく排除するという思想が前提にあるわけです。一貫して、あくまでイスラエルの男性を中心に考えており、男系の維持を前提にしています。女性はそもそも差別されています。女性は男性の所有物として扱い、女性を不浄のものしているのです。また、神が禁じたとされる行為は全て異邦人の行いとされました。例えば、「これらはすべて、あなたたちの前からわたしは追放しようとしている国々が行って、身を汚していることである」(レビ記)のような記述です。これらから、僕らは学校で「ユダヤ人だけが救われるというユダヤ教に疑問を感じてキリスト教がおこった」と学んだのです。

 キリスト教の中でも、同性愛者に理解をしめす人々は、レビ記を「真剣に愛を交わした間以外での性行為が罪だ」という考え方としてとらえ、ならば真剣に恋愛する同性間の恋愛が咎められるいわれはないのではないかと考えているようです。少なくとも、レビ記を根拠に同性愛者を罪とするなら、世の中で婚前交渉をするようなすべての人々が罪に問われるべきです。もっとすすんで考えれば、歴史的な背景やその文脈を無視して、全く違う状況の現代において、聖書の文言を一字一句すべて原理的に捉えるということ自体がナンセンスだとも言えます。

 聖書の文言にとらわれすぎれば、はっきりと同性愛者を認めるということはなかなかされません。保守派が「同性愛者の存在」「同性間で愛情を抱き合う」こと自体を罪とするのに対し、リベラルな宗派は「これらも神の意思に従った自然なことである」としていたりもします。しかしその場合も、性行為自体は禁じているものが多いようです。「人はみな罪人です。しかし、イエス・キリストが十字架に架かり、赦しが与えられたのです。だから、同性愛も赦されています」という口上で、あたかも同性愛者に理解を示しているかのようにみせる聖職者がいます。しかし、そこで、人間全ての罪と曖昧な物言いのまま、その罪を同性愛に限定しているところがどうにもおかしいのです。これは、結局、赦されてはいるけれど、同性愛は罪であり、悔い改めよということなのでしょうか。「同性愛も異性愛も罪なのです」と言えば、みなに平等に罪を説くことになります。しかし、そういうことはなく、「赦し」を隠れ蓑にした同性愛差別に他ならないのです。これは、同性愛者にとって、救われるどころか、さらに追いつめられるところとなります。

 ちなみに、前ローマ法王ヨハネ・パウロ二世は、「同性愛は個人の選択である」と述べていました。ここでいう選択とは、異性愛との選択、あるいは禁欲との選択といったところだと思います。いずれにせよ、修正不可能な指向としての同性愛を認めない方向でした。新法王ベネディクト16世は、男女の結婚に基づく家庭の重視、妊娠中絶や同性愛の否定など、現法王の保守的な路線を支持しており、同性愛や同性婚をはっきりと非難していました。今後しばらく、カトリックの総本山は、同性愛を認めないことがはっきりしました。

 ゲイにとっての権利が認められているというイメージのあるアメリカ合衆国において、ソドミー法という、同性愛禁止法が残っている州が存在します。2003年6月26日、連邦最高裁判所はローレンス対テキサス州事件において、同州のソドミー法に対し違憲判決を下しました。この判決により、ソドミー法を合憲とした1986年のバウアーズ対ハードウィック事件判決は覆され、また他州のソドミー禁止法も違憲とされました。この事件はヒューストン在住の男性、ジョン・ローレンスさんとタイロン・ガーナーさんが、1998年に武装した侵入者を捜索してローレンスさんの自宅に入った警察が、偶然彼らの性行為を発見したため、ソドミー法で有罪とされていたのを、不当として訴えていたものです。二人はこの法令により逮捕され、その後有罪判決を受けて200ドルの罰金と裁判費用の支払いを命じられていました。連邦最高裁判所違憲判決というのも判事の総意というわけではなく、この問題の根の深さを感じさせます。違憲とされてなお、保守的な多くの州にこの法律が残り、最大終身刑を規定したままとなっています。

 ちなみに、ソドミーとは、聖書に記された、神の怒りに触れて滅ぼされたソドムという町が語源です。ことさらに、この町の人間が「同性愛」の罪によって神の怒りに触れたということが言われています。しかし、ここには先述の、ユダヤ民族意識による、他民族の排除という考え方が根底にあります。また、同性愛ということによって滅ぼされたということがはっきり書かれているわけでもないようです。

 創世記で主なる神はアブラハムに「ソドムとゴモラの罪は非常に重い」と告げます。それに対し、アブラハムは最終的に、十人の正しい者がいれば町を滅ぼさないという約束をもらいます。しかし、結局、正しい者は十人に満たず、滅ぼされるのですが。神は、ソドムの町を見定めようと、ソドムの町にある、アブラハムの親類であるロトの家に、二人の御使いを訪れさせます。すると、そこにソドムの男たちが「お前のところに来た連中をここへ連れて来い。なぶりものにしてやるから」とおしかけてきます。二人の御使いは男性であり、これをなぶりものにするということで、ソドムの町の男性が同性愛者であると解釈され、また、その罪でソドムが滅ぼされたということにされています。

 さて、もう少し創世記を読んでみると、ロトは、家に押し掛けてきた男たちに、自分の娘を差し出し、好きなようにしてくれと言うのです。そのかわり、御使いには何もするな、と。ここは否定的に描かれていません。客人を守るために、自分の娘を強姦せよということは、その後罪に問われていません。前に述べたように、あくまでユダヤの男性のための観点であり、女性の権利など認められていないようです。さらには、ソドムから逃れたロトと娘は、子孫を絶やさないために、父親と肉体関係を持ちます。この近親相姦も罪としては描かれません。

 このように、聖書を原理主義的に、一字一句そのままに読むと、現代の倫理観にはあまりにもそぐわないことであることが明らかで、殊更に同性愛だけを抜き出して批判する根拠はないとも考えられます。

 さて、ここまでは旧約聖書の話でした。キリストと神との契約の後の新訳聖書の中では同性愛がどのように扱われているのかと言えば、やはり文字通りに読む限りは否定的に扱われているようです。ローマの信徒への手紙によると「神は彼らを恥ずべき情欲にまかせられました。女は自然の関係を自然にもとるものに変え、同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています。彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、無知、不誠実、無情、無慈悲です。彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています」とあります。これに関しては、同性愛行為というもの自体を非難するというよりは、当時のローマの神々を祭る神殿での、神と交わる儀式、いわゆる、神殿娼婦・神殿男娼との性の儀式を非難していたのではないか、という解釈もされています。

 その他では「正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色をする者、泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことはできません」(コリントの信徒への手紙)や、「すなわち、次のことを知って用いれば良いものです。律法は、正しい者のために与えられているのではなく、不法な者や不従順な者、不信心な者や罪を犯す者、神を畏れぬ者や俗悪な者、父を殺す者や母を殺す者、人を殺す者、みだらな行いをする者、男色をする者、誘拐する者、偽りを言う者、偽証する者のために与えられ、そのほか、健全な教えに反することがあれば、そのために与えられているのです」(テモテへの手紙)で「男色」という言葉が用いられ、ここはたびたびキリスト教に基づいた宗教団体が、同性愛を否定する時に引用する場所でもあります。ただ、ここで述べられている男色というのが、男性同士の真剣な恋愛に基づいたものということではなく、当時問題とされた、誘拐されてきた少年を売り物にした売買春のことであるという解釈もされているようです。

 ちなみに、レズビアンに関して直接的に否定する言及はされていないようです。前述の如く、女性差別的な記述は数多くありますが。

 僕自身はキリスト教徒ではありませんが、手に入る範囲の聖書、聖書の解説、キリスト教関係者の様々な立場からのコメントなどを自分なりにまとめてみました。キリスト教徒でもない人間が、聖書に関してあれこれ言うのが良いことなのか悪いことなのか判断しかねますが、世界の大きな宗教の一つに、自分のセクシャリティを否定されたままでは気分が悪いので、自分なりに調べてみたというだけの話です。誤解も多いとは思うのですが、少なくとも、聖書を盾に、僕らの性的指向を否定されるいわれはないと考えているのですが、いかがでしょうか。

 今後、イスラム教の話へ続けて行きます。

振られない、けれど

 ゲイの多くは、ネット上で使うようなハンドルネームを、そのままゲイのコミュニケーションの中で使い続けることが多いようです。出会いの場としてネットを使うことが多いということが第一にあります。また、完全にカミングアウトしていない状況で、実生活の知人にバレないようにするための防衛線としての役割も果たしています。
 他の人がどうなのかよくわからないのですけれど、僕はハンドルネームのようなものにしても、それが僕という個人を表す以上、結局なんらかの由来をもとめてしまいます。そうなると、結果として、もともとのニックネームであるとか、本名の一部だとか、そういうことに落ち着いてきます。
 僕が知り合ったあるゲイは、自分の大好きなノンケ(異性愛者)の名前を、自分のハンドルネームとして使っていました。彼が言うには、そのノンケはとても大切な存在で、自分が好意を持っていることも伝えてあるのだと言います。相手はそれを受け止めてはいますが、ノンケですから、恋愛は始まりません。結果として、ゲイからの一方通行の恋愛は、振られることなく、しかし、成就することもなくなります。相手からは、この上ない友情がかえされます。それも愛ですし、好かれているということはとても嬉しいのです。だけど、それ故に次の恋愛にうつれなくなります。
 そのゲイの友人は、大好きなノンケから結婚することをきかされたとき、分かってはいたことだけれど強いショックを受けたということです。しかし、ある意味でそれが一つの区切りとなり、ようやく彼は、自分のハンドルネームを、そのノンケの名前から、自分の本名の一部に変えました。
 このあたりの心情が、僕にはとてもよくわかります。
 僕も結局、一番大好きな相手はノンケなんです。そして、その好意は拒絶はされません。友情という形で強く返され続けています。それはそれとして、恋愛は別に求めなくてはいけないとは思いながら、どうもそこから抜け出せないんですよね。

医局に身をおくということ

 全てを得ることはできないのだから、優先順位をつけて、自分の大切なものから選んでいくしかないということは、頭では分かっているのに、なかなか思い切った行動ができないのです。
 今、地方の大学の医局に身をおいていますが、身につけたい技術や、目指していく方向としては、今の身分に強い不満はないのです。もちろん、無給での労働、やたらと多い当直など、勤務体制には不満はあるのですけれど、これは、全国どこへ行ってもあまり解決にならないので。
 ゲイという少数派として生きていく上で、住む場所というのは大きなファクターです。ただ、もちろん、地方にいると絶対にゲイとの出会いがないとか、そういうことはありません。ただ、数の問題として、やはり都会は有利です。
 先日、都内で働くゲイの医者と話す機会がありました。彼は、大学には属していません。大学医局への入局が一般的だった旧制度時代に、彼は大学には属さないという選択をしました。結果として、彼の選んだ研修病院は魅力的だったようですし、また、彼にとって東京に住むというのは重要な点だったとのことです。彼は、最初の研修先にさらに残って研修をつづける道を選択しました。もちろん、その後スタッフとして採用される補償はありませんので、そういう点では、僕は医局という安定した場所にしがみついているのです。
 もし、僕が東京に住むことを第一とするのであれば、道はいくらでもあるのでしょう。だけど、常日頃から、僕は東京への憧れを言いながら、地方の大学にしがみついているのです。
 ここ最近、僕の事情を知る人の多くから「根拠はないけれど、医局なんて辞めて、東京に出てしまうのがいいと思う」なんて言われるのです。また、自分の追い求めている外科医療へのモチベーションが、昨今の過剰な医療バッシングによってゆらぐようなこともあり、真剣に退局のビジョンを考えたりもしているのです。
 とりあえずは、大学院というところにまでやってきてしまったので、学位だけはとろうと思います。その時点を区切りにして、飛び出すことも考えます。そこで飛び出さなかったら、なんとなくずっと大学にしがみついてしまうかも知れません。大学の人事の中で、東京に近い場所に長く置いてもらえるのが理想なのですが。
 ちょっともやもやと考えていることです。
 メルマガも相当滞っていますが、少なくとも春のうちには出すつもりです。気長にお待ち頂けると嬉しいです。