カミングアウトブーム

 だいぶ間があいてしまいました。僕の最初のカミングアウトの後の話を綴ってみます。
 最初のカミングアウトがどう転ぶかというのは、その後の行動に大きな影響を及ぼすことになります。僕は幸い、カミングアウトによって関係をまずくした例はないのですが、中には、家族へカミングアウトしたものの拒絶され、親子の縁すら危うくしてしまったという人も少なからず存在するのです。ただでさえ心細い状態で生きてきて、本来、一番理解してくれる、守ってくれることを期待される存在である肉親に否定されるというのは相当なトラウマになります。しかも、これは別段何か悪いことを報告するわけではないのです。自分で選択したわけではなく、そして、変更可能なわけではない事項に関して、それでも社会的には差別されるという存在。ある友人は、「例えば先天性の疾患を持って産まれて来たとすれば、同情を買い守られる。同性愛という性的指向に関してはそういうことがないのはおかしい」といった表現をしていました。これは、先天性疾患を持った当事者にしてみれば異論の多いところでしょう。僕もそのまま素直に受け止めることはできません。しかし、友人がそういう言葉を吐いた気持ちはわかります。
 同性愛という性的指向がどのように定着するのかはいろんなことが言われていますが、少なくとも、「同性愛者に生んでしまってごめんなさい」というような守られ方はおかしいと思いますし、同情を買うべき存在とも思いません。当事者ではないので憶測ですが、これは、先天性疾患の方々が、一方的に同情の目にさらされることに対して感じる違和感と似たような感情ではないかと思っています。
 まあとにかく、なんで悪いことをしているわけでもないのに、他人に正直に自分のことを語ることに、相当な勇気と体力をつかわなくてはいけないのかということを、どうしてもしばしば考えてはしまうのです。僕もそんなことをつらつら考えながら、最初はゲイだと一方的に知っていた友人へカミングアウト、その後、ノンケ(異性愛者)への始めてのカミングアウトをしたのです。そして、それはおおむね良好な結果でした。この最初のふたりに関して言うと、カミングアウトによって関係をより良くしたと言えると思います。
 そうすると、それに気を良くして、さらにカミングアウトを広げて行こうという興奮状態におかれました。本当に、あの一時期は、相当に気持ちの高ぶっていた時期でした。カミングアウトをすませたふたりと会話をする中で、また別の共通の知人の名前があがって、どういう理由だかわかりませんが、その彼は僕の性的指向に気付いているのではないかという話になったのです。
 僕がゲイだということをふせた別のサイトを運営していたということを以前述べました。そのサイトは、相当現実社会にばれていたのですが、そんな中で、僕は徐々にゲイの知り合いのサイトと交流をはかったり、自分の恋愛感情が一般的なそれとは違うこと、おそらく結婚はしないだろうという結婚観についてなど、最初にカミングアウトしたゲイ曰く「危うい」ことをしていました。普段の言動だけでなく、もちろん、そういうサイトからの情報ということもあったのでしょうけれど、この、まもなくノンケとしては二人目にカミングアウトすることになる男は、現時点で、僕がカミングアウトする前に既に僕がゲイだと気付いていた唯一の男なのです。
 確か、最初のノンケへのカミングアウト後まもなく、ふたりで呑みに行った寿司屋のカウンターでカミングアウトしたのでした。「だって、先輩、いろいろ辛そうでしたから。隠さず話すことで、少しでも楽に、自然になれるといいですね」とかいうようなことを言われたのです。当時、カミングアウトをする度にもらうこうした言葉が、麻薬のように僕の気分を高揚させまくったのです。
 彼は、いろいろ敏感なんでしょうね。今でも多くを語らないうちにいろんなことをくみ取ってくれるのです。最初にカミングアウトしたノンケも大切な友人なのですけれど、彼はなんとなく考え方とか行動とかいろんなところで、いわゆる多数派のノンケとはかなり異なったところにいます。ひとくくりにするのは意味がないですけれど、むしろゲイ的な考え方とでも言うような感じなのです。対して、二人目のノンケは、僕がゲイであるということを知って、そのまま自然に受け止めたのですけれど、良い意味で、それによって関係性が全くかわらなかったというような立ち位置なのです。最初のノンケとは、関係性が深くなった気がするので、それはそれで大切なのですけれど、こういった、関係性に変化のないという関係も大切だと思います。いろいろわかんないこと言ってますけど、二人目のノンケには好きではあるけれど、恋愛感情を抱かずにすんでいるっていうだけの話かも知れません。しかし、固有名詞使わないと意味がわからなくなる文章ですね。あまり好きではないのですが、仮名をあてた方がよいかも知れません。検討してみます。
 もう少し続きます。